藍坊主 『ミズカネ』 ロング・レヴュー
自身で購入したものであろうが、いただいたものであろうが、ある音楽作品を初めて聴こうという段階で、歌詞を併せて読むことはほとんどない。よく考えたら、近年はゼロだ。原稿書きやらメールの送受信やらで、一日に接することのできる言葉の許容量がオーバーフロウしている、というのが正直で切実な理由だが(あ、でも楽しくやってるので大丈夫ですよ……って、誰に?)、ただ、そういう聴き方をしていても、メロディーと一体化した言葉は必ず刺さってくるものだ。少なくとも、筆者に限っては。
冒頭の数曲を聴いて、たまらず歌詞を見た。藍坊主のニュー・アルバム『ミズカネ』は、そういう作品である。雄大なメロディーが大河のように流れゆくオープニング・ナンバー“低迷宮の月”も諸手を挙げて〈いい曲〉だと言える逸曲だが、耳が止まったのはソリッドなギターが切迫感を持ってドライヴする“ラストソング”。〈君に、君に、君に、伝えたい。/君に、君に、君に、歌いたい。〉――と、ここだけ抜き出すとやたらと直球だが……言葉に意識が向いたのは、だからというわけではない。
ブルーハーツに憧れて結成された、青春パンクを出発点とするバンド――そんなプロフィールにやや抵抗があって、恥ずかしながら、藍坊主のなかで最初に手を伸ばした作品は約2年前に発表された4作目『フォレストーン』である。ブルーハーツも大好きだし青春パンクと呼ばれる作品にも愛聴盤はあるが、そのキーワードから想像される音がある程度予想された、というのが彼らから遠ざかっていた理由であり、この4人が鳴らしていたのは想像外のサウンドだった、というのが実際のところだ。
あくまでも2作品間での比較になるが、〈生きることの意味〉を模索していた前作(まで?)に対して、本作での彼らは〈生きるという行為〉をそのまま歌っているように思う。なかでも〈愛〉というテーマには“マザー”を筆頭として真っ向から対峙しているが、日常という根拠をもとにした言葉であるがゆえに、単なる綺麗ごとでは終わらず、刺さる。聴き手と繋がる。その心象風景を通じて、今日の、昨日の、去年の、数年前の、もしかしたら未来の自分と出会うことができる。
また、先に例に挙げた“ラストソング”や続く“オレンジテトラポット”などに見られる同じ(語感の)言葉のリフレインが非常にリズミックで、言葉遊びも個性的だ。本作で言えば、その最たる曲が攻撃的なラップが挿入される“ポルツ”だろうが、そこから滑らかなサビへとシームレスに移行する自由度の高いメロディーは、否が応でも耳を惹く。また、その独特なリズム感は藤森と渡辺が根幹を支えるグルーヴにも反映されており、例えば“創造的進化”で前面に出ているクールなダンス・ビートは、端的に格好良い。アルバム全体に通底するサウンドをざっくり言うとすればギター・ロックとなるのだろうが、内包している音楽性は実に多彩。ただし、どんなにタフでソリッドなアレンジであろうとも、どこか透明な美しさを纏っているのが不思議である。
インタヴュー中で藤森が語っているように、アルバム・タイトルとなった『ミズカネ』とは、自在にそのフォルムを変化させるある金属の名称である。しなやかで強靭な音楽が鳴り響くこの作品には、本当にぴったりだ。よく見つけたなあ、と思う。