LONG REVIEW――世界の終わり 『EARTH』
世界の終わり。そのバンド名を耳にして、まず〈ミッシェル・ガン・エレファントのフォロワー?〉と想像した人は多いのではないだろうか。筆者もそのうちのひとりだったわけだが、さらにインパクトがあったのは、手渡された紙資料。その表紙は、歌詞の断片と思われる言葉で埋め尽くされていた。〈生物達の虹色の戦争〉〈神様、人類を滅ぼして下さい〉――否が応でも目に飛び込んでくるリリックの大群は、やはりいくつかの先達が鳴らしていたサウンドを想起させた……のだが、脳裏をよぎったそれらの予想は、ことごとく外れた。世界の終わりのファースト・アルバム『EARTH』に封じ込まれていたのは、シンプルで、清潔で、いっそ線が細いとも言えるほどにセンシティヴなポップ・ミュージック。そして、聴き終えた後に筆者が覚えたのは、そこはかとない違和感である。
〈自然破壊〉や〈殺戮の正当化〉に言及した詞世界を〈陰〉とするなら、サウンドはどこからどう聴いても〈陽〉。はじめは、そのトーンの差異が違和感の源なのかと思ったが、音源を何度かリピートしてみて、その最たる理由に気が付いた。彼らの音楽からは、エモーションが欠落している。楽曲がポップにコーティングされているだけに、その得体の知れなさが、じわじわと浮上してくる。
インタヴューを読んでもらえれば、なぜ彼らの音楽が上述のような作りになっているのかわかると思うが、本作は、ソングライターの深瀬 慧が体験した大きな喪失と再生を率直に綴った物語である。再生の日々なかで――彼が言うところの〈ファンタジー・ライフ〉のなかで目にした風景を、自身の哲学をもとにそのまま表現したノンフィクション作品である。そんな自叙伝にも近い詞世界を前に、彼の過去を知らずに聴いたリスナーは、イマジネーションをマクロなレヴェルまで掻き立てられる。そういう意味において、深瀬は優れた語り部であるとも言えるだろう。筆者に限って言えば、インタヴューを行う前と後で、このアルバムの聴こえ方が、特に詞の沁み込み方が変化した。彼が紡ぐファンタジーが、筆者のリアルとより深いところで繋がったからである。
エレクトリックなアレンジの導入の仕方など、正直に言うと、サウンドの完成度としてはまだ発展途上のバンドであると思う。だが彼らは、〈自分たちにしか歌えない歌〉という歌モノとしての最強の武器を持っている。深瀬の身に起こった出来事を追体験することは到底できないが、“幻の命”“死の魔法”“白昼の夢”あたりに滲んでいる〈絶望〉と〈希望〉は、自分のなかの一部を〈ほら〉とふいに突きつけられたかのごとく、聴くたびに身に迫るものがある。そもそも、最初に違和感がもたらされた時点で、筆者は彼らの音楽に負けているのだ。
もしかしたら、〈違和感〉を〈いつのまにか失くしてしまった視点〉あるいは〈取り戻したい感情〉に言い換えればわかりやすいのかもしれない。負けた理由を探していて、いまさらながらそう思った。