インタビュー

LONG REVIEW――鬼 『湊』

 

鬼_J

何かで読んだ話によると、駆け出しの頃の鬼はRHYMESTERの前座を務めたことを契機に、MUMMY-Dを参考にしてラップの技量を磨き上げていったのだという。自身の過去をディープに反映した作風で評判を積み上げてきた彼だが、経歴や背景を物語る付加情報によって、〈何を聴かせるか〉以上に〈どう聴かせるか〉という部分に重きが置かれていることが忘れられてきたとしたら不幸なことだ。

ぎこちない感傷や不良の開き直りとは一線を画した鬼のリリシズムは、豊富なヴォキャブラリー(ここが重要)を伴った色気のある語り口と渾然一体になったものである。そのマイク捌きは、言葉の意味の重みを取り去るかのように軽妙であったり、醒めきっていたり、時には露悪的であったりしながらも常に穏やかだ。かの“小名浜”や“甘い思い出”、あるいは“いきがり”といったヒリヒリするような名曲をそれ以上の素晴らしいものたらしめてきたのは、内面のエモーションを適切に届けるための表現者としてのクールネスだったはずだ。

そういう意味で今回の『湊』は、いままで以上に対象を俯瞰して見ることで、より対象ににじり寄ったような感じがする。幕開けは馴染みのSUGARCRACKがチンピラ風情のジャズに仕立てた“自由への疾走”。以降もPUNPEEが風来坊の切迫感を敷き詰めたソウルフルな“ひとつ”や、D-EARTHのギラギラしたスウィング“なんとなく”など、少しノスタルジックな歓楽街の匂いをゆらりと立ち昇らせたトラックが中心だ。本人も「ネタ元の音楽に詳しいわけじゃないんですけど、何となくそういうビートを選んでる」と笑っていたように、特にコンセプトや基準をもって集めたわけではなく、いまの感情を表現するのに、このビートが適役だったということなのだろう。般若にSHINGO★西成という役者が揃った“酔いどれ横町”では、文字通り昭和の匂いをふわりと漂わせてみせる。

ラスト3曲では、さらに穏やかになっていく語り口が圧倒的に迫る。“小名浜”を連想させるビートで漂泊する“つばめ”、LIBROの美しいループに乗せて不器用な優しさを淡々と刻んでいく“言葉に出来ない”、切々としたピアノの調べに人懐っこい独白が溶けていく“またね”。表現者としての彼のターニングポイントになるに違いない佳作だろう。

 

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掲載: 2011年04月20日 18:00

ソース: bounce 331号 (2011年4月25日発行)

文/出嶌孝次

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