INTERVIEW(3)――どれも自分の破片
どれも自分の破片
――アルバムの曲順で言うと、後半の“一人暮らし”“誰もいない台所”“蓋”は一つのまとまりになっていますよね。
「ここは〈一人ゾーン〉ですね。“一人暮らし”は、本当に何でもないことを歌いたかったんです。事件が起こるわけでも、話題にすべき社会的な問題を歌うわけじゃなくて、ありふれた、取るに足りないものを歌にしたい。そこから生まれたんです」
――で、シングルとして“誰もいない台所”が入っているわけですけれども。実は僕、この曲について某所にかなり批判的なレヴューを書いたんです。
「読みましたよ(笑)。〈高橋優で聴きたい曲はこういう曲じゃない〉って書いてましたよね」
――そうそう。せっかくリアルタイム・シンガーソングライターと名乗っているのに、いまの現実を歌わないで〈路上時代の名曲〉を出してどうするんだ?みたいなことをシングルのときには思ったんです。けれど、このアルバムの並びのなかで聴くと、この曲の意味合いがちゃんと伝わるようになってると思って。
「はい」
――ああいう昔の曲をシングルとしてリリースするというのは、自分としてはどういうふうに捉えていたんでしょう?
「大前提として、アルバムに向かっているというのはあったんです。“誰もいない台所”では、まっすぐに自分の女々しさや寂しさや自分勝手さをテーマに置こうと思って。でも、それは“誰がために鐘は鳴る”と同じで、やっぱり歌いたいことの一部分。どれも自分の破片なんですよね。全体ではない。で、〈今思ったことを今歌う〉ということを自分がやってきたなかで、昔歌っていた“誰もいない台所”という曲を復活させたいという想いと、あとレコーディングするにあたって歌詞を書き直したという部分もあったので、新しいものとしてみんなに聴いてほしいという想いが強かったですね」
――なるほど。
「ただ、この曲をシングルとしてリリースすることで、そこから聴きはじめた人は〈寂しい曲を歌う人だな〉って思うかもしれないなっていう危惧はあったんですけど。でも、それも避けて通れない道だと思ったんですね。自分が音楽をやっていくうえで、“福笑い”みたいな、ハッピーで笑顔のラヴ&ピースな歌は歌いたくないという日もあるし。“一人暮らし”みたいなパーソナルな曲もあれば、人の話は半分以上聴いてませんっていう“気ままラブソング”みたいな曲もある。そういうなかで“誰もいない台所”をシングルで出すというのは、大きな意味を持つなって思ったんです」
――アルバムは、“絶頂は今”“セピア”という2曲を最後に終わりますよね。この流れでアルバムを終わらせようと思ったのはなぜでしょうか。
「アルバムの内容としては、“絶頂は今”がクライマックスだと思っているんです。お祭りが夜に差し掛かって花火が上がっているようなところで、その帰り道の余韻に“セピア”という曲があるという印象ですね。何かが完結したような終わり方にしたくなかったんですよ。名残り惜しいような、余韻を残したいという意味で“セピア”を最後に置きました」
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