インタビュー

INTERVIEW(3)――音楽にすべてのパワーを注ぎ込めるようになった



音楽にすべてのパワーを注ぎ込めるようになった



中山うり_A4



――どういう点にこだわったのか、もう少し教えていただけますか?

「歌詞でいうと、こう表現したら、こう受け止められるかな?とか、そういうことをあまり考えないで、自分なりの言い回しにこだわったというか。ま、わかる人にはわかるってものになってもいいかなと最近は思えるようになってきて。一般的に伝わりやすいものへ変えてしまうよりも、あえて自分だけの言葉を入れていきたいと」

――そういう自分らしさを出していかねば、という気持ちは、事務所からの独立の決断とも結び付いているのだろうと想像しちゃうんですが。

「そうですね。なんかね、これまではクリエイティヴな仕事をしているとはっきり言い切れないような気持ちがあったんです。自分の色を100%出せているのかな?って疑問が去年あたりから沸々と湧き上がってきていたんですね。いろんな人の意見を採り入れながらやっていくのは大事だと思うんですけど、方向性の最終的な決断とかを自分でできていたわけじゃないって気がしていて。その頃、絵を描いたりだとか、やたらと家で物を作ったりしてたんです。なぜか音楽に力を注ぎ切れない感じがあって。その反動からか、やたらと縫い物したり、物作りの方向に行っちゃってた時期があったんです。パワーの注ぎどころがもったいないなと思いながらもね。それで、なんでだろう?って1か月ぐらい考えていて、出てきた答えが〈ま、独立かな〉ってことだった」

――それにしても思い切った決断ですよね。

「う~ん……振り返ってみると、10年ぐらい前から事務所と付き合いがあって、2007年にCDデビューする前の何年間かは曲の作り方から教わっていたわけです。その頃は美容師の仕事もしていたんですけど、休みの日を使って曲作りをして、週に1回はS-KENさんのところに曲を持っていってた。そういう修行期間を5年近く続けたのかな。ただ、いまはもうそこで学んだノウハウだけだと狭くなってきてしまったというか。行き止まりじゃないけども、もっと自由な発想を駆使して、ゼロからやってもいいのかなって」

――しかし10年って時間は長いですよね。

「ほんと、長いです。小学校と中学校を足しても9年間ですからね。だから強制的に終わらせないと終わらなかったっていうか。後にも先にもこういう付き合いってなかなかないな、と思うんですけどね」

――でも決断に至ったのは、確固たる自信があったからなんでしょうか?

「自信とかじゃなくて、とりあえず離れたほうがいいかな、という直感のようなものでしたね。ほんとに何の準備もしてなくて、自宅でプリプロを作れるようにキューベース(音楽制作ソフト)とか機材を集めて、急ピッチですべてを進めていったんです」

――結果としては良かった?

「良かったと思いますね。遠目ですべてのことを見渡すことができて、いろいろ焦ったりするんですけど、いままで他の物作りに向けていたようなパワーを全部そこに注ぎ込めるようになったから」

――そういうパワーが注ぎ込まれた結果、もうひとつのデビュー作『ホロホロ』は、いい意味でわがままな作品に仕上がりましたね。

「そうなったと思います。だから次の作品はこんなわがままに作れるかな?ってちょっと感じてますけど」

――どうですか、完成した作品を改めて眺めてみて。

「そうですね、ジャケットに自分がいないことが大きい。部屋にパッケージを飾ったときに、アコーディオン持った私が写っていてもなあ……みたいなことを考えちゃってたんですよ。もちろん(これまでの作品のジャケットも)気に入っているんですけど、今回はちょっとなぁ……って(笑)」

――でも今回のジャケット写真は本当にいい。写真が醸し出しているさりげない日常感とかも含めて、シンガー・ソングライター的な側面を濃くした内容とやけにリンクしているというか。最後に、これからのめざすべき方向について教えてください。

「柔軟に、硬くならないように、ってことを心掛けてやっていきたいですね。例えば、ホーンと歌だけの曲とかやってみたい。いまは曲を書きたいって気持ちがさらに高まってきているし、ライヴで演奏して温めながら、新しい作品を作っていけたらいいなと思ってます」



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掲載: 2012年12月19日 18:00

更新: 2012年12月19日 18:00

インタヴュー・文/桑原シロー