インタビュー

菊地成孔 戦前と戦後のエチカ



Before the war

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Photo by Masahiro Sanbe

異なるキャラクターのいくつかのグループを同時に運営/群発させることは、もはや菊地成孔にとってのオハコとなった。どれもが“はったり”や“まがいもの”でない、完全に構造分析を成しうる異種音楽の別々な投影であって、パーソナルな揺らぎや訛りもそんな分析可能な構造に押し込める手際は、ただ鮮やかと言うしかない。東日本大震災からこちら、その趣向の投射に拍車がかかったように見え、あの日を起点に何か菊地自身の中にも重大な構造変化が起こったかと疑ってかかってみた。つまり個人的な震災という“戦争”前後の思いを、この度アコースティックな具象キャラを背負うペペ・トルメント・アスカラールの新譜『戦前と戦後』に投影したのではなかったか、といった妄想である。

昨年は、〈ものんくる〉や〈けもの〉のプロデュース・ワークに次いで、大谷能生とのヒップホップ・ユニットでラッパーとしてのデビューも飾った。その間、そのこと自体をひとつの個性としてきた新宿・歌舞伎町/リトル・コリア内に定めた生活の拠点までも引き払って、その行為に何やらただならぬ自己改変にまつわるストイシズムを感じさせたが、そこで聞こえてきたのが自身のレーベル立ちあげという一報であった。

「どれもがシンクロしていったんです。動かない時は5 年経ったってなんにも動かないけど、動くとなるとこうして全部が一緒に動きだすものらしく、さらにそこに頼れる人物が現れる。だいたい先のプロデュース・ワークにしてもペペの新譜企画にしても、今回のレーベル“TABOO”の立ちあげにしたって、プランニングでボクは一切なんにも関わってないんだからね。全部が、受動的なの(笑)。ああ、大谷くんとのジャズ・ドミュニスターズだけは別だけど…」

そこには何人かのブレインによる暗躍があったことは言うまでもないが、それぞれの独立した動きが良きにつけ悪しきにつけひとつ方向へ流れを集束させていき、知らぬ間に合流した場所がTABOO (ソニー・ミュージック・アーティスツ)という土地であった。端から見るのと現実とでは天地ほども意味合いは違ってくるが、その経緯はともかく最後はさもあっさりとこの菊地50歳の大台にして初のレーベル主宰の話がまとまっていた、とだけ言っておこう。そしてこれから(少なくとも契約更新の日がやってくる2 年先まで)は自己が運営する複数プロジェクトも、プロデューサーとして関わってきた若手アーティストたちのリリースも、すべてこのレーベルで行なわれる。DCPRG が日本人初の名門インパルス・レーベルからのリリースであったことを思えば、20 世紀的に言うならジョン・コルトレーンからマイルス・デイヴィスへの踏破といったあまりにも偉大な足跡であって、この新レーベルで主導する菊地の采配の先にこそ興味は集まってくる。

「バンドが1個しかなかった時代がボクにはなく、なおかつ文筆家としてまた大学の先生としての活動もあり、何らかの一本化があればいいなっていうのはもちろん。さらにバンドはどれも所帯がデカいから予算がデカく、いろんなことがデカいじゃないですか。なので全部をまとめるとなればメジャーと契約するしかないな、なんて冗談を言っていたのが現実そうなったわけ(笑)。ただもう音産も変わってきているから、企業としての実質は音楽だけじゃなくファッション業界も飲食業も一緒で、昔のブランディングが…まあ表面上は生きているのだけど内実なかなか大変。だからソニー・ミュージック・グループへ行ってレーベル持ったんだから安泰だろうみたいに言われると、いやいや、そういうものはないよと。作るものがダメだったらもう契約も無くなるんだっていう緊張感ですね。できるだけ良い企画を出し、良いアルバムを出して、まあここが終の棲家となり、よしんばタレントであることをやめてもTABOO っていうレーベルが続いてっていうのが希望値最大のヤツで。最低のヤツは1 、2 枚で飼い殺しになるっていう(爆笑)。そういう極端でダイナミックな展望の中を、まあ最善尽くしてやっていくんだっていう心持ちですかね」

音産にまつわるタブーをここで全解放していくつもりかと言えば、そういうことではない。ネットを使えば何もが開示される、今は“タブー無き世の中”となってしまった。であるからこそ、菊地的発想の転換から“タブー無き世にタブーを”との逆説を込めたわけだ。触れてはならない何か危険なもの。それは「危険なだけに素晴らしい」といった喩えであり、そういった言説はかつてアンダーグラウンド・カルチャーにはしたたかに横行していた。そしてボリス・ヴィアンの『サン=ジェルマン=デ=プレ』に出てくる、いわゆる雑文化の温床たる地下クラブのひとつにこれと同じ“TABOO ”という名のスポットがあった。そこから(演奏から評論からアジテーションもこなす日本のボリス・ヴィアンが!)引いてきたのがこの名前である。「ボクが信じるのは魔術であって、それは見てはいけないもの。秘儀やタブーやドクマって大切で、何だか分かんないってところに音楽の一番の強味があると思うんです。そんなこと言って、オマエは構造主義で何でも分析して明らかにしていくじゃないかって(笑)。ボクはそこで、分析しても分かんないものが残るっていうことが言いたくて分析をしているんですよね」。



カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2014年03月19日 10:00

ソース: intoxicate vol.108(2014年2月20日発行号)

interview & text : 長門竜也

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