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第45回――テディよ永遠に

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2010/06/05   23:30
更新
2010/06/05   23:32
ソース
bounce 320号 (2010年4月25日発行)
テキスト
文/林 剛

 

不世出のシンガーがまたひとり天に召された。力強さと優しさを剥き出し、ジェントルでセクシーで圧倒的に男らしい歌声で世の女たちを魅了したテディベア──今回は男性ソウル・シンガーの最高峰、テディ・ペンダーグラスのPIR時代を振り返ります!

 

TeddyPendergrass -A1

 

フィラデルフィア・ソウルを、70年代ソウルを代表したシンガー、テディ・ペンダーグラス。日本では〈テディペン〉の愛称で親しまれた彼だが、オーティス・レディングやマーヴィン・ゲイのようにロックやポップスとの接点が多かったわけではないからか、その名はソウル・ファン以外にはあまり浸透していなかったように思う。だが、本国USでは黒人コミュニティーに限らず絶大な人気を誇り、その精悍なルックスと豪快なバリトン・ヴォイスで世の婦女子を熱狂させ、マーヴィン・ゲイに続くセックス・シンボルとまで言われていたのだ。“Close The Door”(78年)や“Turn Off The Lights”(79年)といったセクシーなナンバーで、愛し合う者たちの夜を熱くした男。82年3月にみずから起こした自動車事故で下半身不随となってからも不屈の精神で歌い続け、〈歌うテディベア〉としても親しまれたテディ。だが、そんな彼も、今年1月13日、結腸ガンの手術後に起きた合併症により、59歳という若さで天国に旅立ってしまった。

ラスト・レコーディングとなったのは『Songs 4 Worship Soul』(2009年)というゴスペルのオムニバス盤に収められたエドウィン・ホウキンズの名曲“Oh Happy Day”のカヴァー。2006年には音楽ビジネスからの引退を表明していたテディだが、2007年にもゴスペル・ミュージカルのサントラに参加するなど、ゴスペルは歌い続けていたのだ。みずからのルーツに回帰するように。ご多分に漏れずテディも幼少時代から教会で喉を鍛えていたシンガーで、熱いフェイクで曲を盛り上げ、リスナーを昂揚に導くような力強くスケールの大きい唱法は、まさしく教会出身者のそれであったと言っていい。

 

HaroldMelvin&TheBlueNotes -A

 

1950年3月26日にフィラデルフィアで生まれたテディ(本名セオドア・デリース・ペンダーグラス)は、当初はドラマーとして活動を開始(なお、10代半ばで一度、地元のレーベルに楽曲を吹き込んでお蔵入りしていたことが後に判明している)。いくつかのグループを渡り歩くなか、彼の運命を変えたのがハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツだった。ここでドラマーだったテディはシンガーに抜擢。グループがギャンブル&ハフのフィラデルフィア・インタナーショナル(PIR)に入社すると、テディは“If You Don't Know Me By Now”(72年)などのヒットでその看板リードとして注目を浴びる。この後、約3年に渡ってブルー・ノーツは絶頂期フィリーの豪奢で甘美なサウンドを浴びて傑作曲を放っていくが、案の定グループはリードだったテディの独壇場となり、不和をもたらす。結局テディはソロとしてPIRから再出発し、グループ時代の余勢を駆って、その1年後には“Close The Door”のNo.1ヒットで頂点に昇り詰めた。〈レディーズ・オンリー・コンサート〉と銘打ったライヴを行ったのもこの頃で、その後、ステファニー・ミルズとのデュエット“Two Hearts”を放った81年ぐらいまでは向かうところ敵ナシの状態だった。

 

TeddyPendergrass -A3

 

が、翌年の自動車事故──脊髄を損傷したテディは、その後生涯に渡って車椅子生活を強いられることになるが、PIRからアサイラム/エレクトラに籍を移す と、84年、デビュー直前のホイットニー・ヒューストンとデュエットした“Hold Me”を含む『Love Language』で復活を果たす。その後もアルバムを出し続け、時にはPIR時代の名作群と肩を並べるような力作も発表。とりわけ、キャロウェイ兄弟が プロデュースした表題曲が“Close The Door”以来のR&BチャートNo.1となった『Joy』(88年)はキャリア屈指の傑作として語り継がれている。90年代後半にシュアファイ アから2枚のアルバム(1枚はクリスマス盤)を出した後は第一線から退くも、『From Teddy, With Love』(現在は『Valentine's Day Concert』の名で再リリースされている)としてCD/DVD化された2002年のヴァレンタインデー・ライヴでは元気な様子を見せていた。 R&Bがめまぐるしく変化を遂げるなか、テディはソウル/R&Bの大木のような存在としてシーンを見守っていたのだ。

93年作『A Little More Magic』でプロデュースをしていたバリー・ホワイトやジェラルド・レヴァート、そしてテディ本人と、アフリカン・アメリカンの男性特有の濃厚なフィーリングを放つシンガーが次々とこの世から消えていくのは心惜しい。けれど、その魂が次世代のシンガーに受け継がれていくことを期待しつつ、ソウル界のテディベアには安心して眠りについてもらうとしよう。

 

▼テディ作品のリイシューと同時にリリースされるPIR音源のコンピを紹介。

左から、ダンサブルなアップを中心にした『Philly Groovy』、ミディアム~スロウを主体にした『Philly Mellow』(共にソニー)。ここに入っている名前からあれやこれやが単独リリースされるはず!?

 

▼関連盤を紹介。

ディミトリ・フロム・パリの最新ミックスCD『Get Down With The Philly Sound: A Very Special Collection By Dimitri From Paris』(BBE)。テディに捧げたフィリー・ソウル集です

 

▼PIR離脱後のテディ作品を一部紹介。

左から、84年作『Love Language』(Asylum)、97年作『You And I』(Surefire)、2002年録音のライヴ盤『Valentine's Day Concert』(Immortal)

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