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第47回――都会はエムトゥーメイ

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2010/08/30   14:12
更新
2010/08/30   14:12
ソース
bounce 323号 (2010年7月25日発行)
テキスト
文/林 剛

 

アーバン、メロウ、グルーヴィー、スムース……安易にそう形容されるものが増えてくると言葉の効力も衰えてくるわけですが、今回ここで紹介するのは、真にアーバンでメロウでグルーヴィーでスムースな、エムトゥーメイ&ルーカスの名作群です!!

 

 

ソウル~R&Bのソングライター/プロデューサー・コンビといえば、ギャンブル&ハフ、LA&ベイビーフェイス、ジャム&ルイスなどが有名だが、同様に忘れてほしくない名前がある。ジェイムズ・エムトゥーメイ&レジー・ルーカスだ。レーベル・オーナーとして帝国を築かなかったせいか、一般的な知名度は低いかもしれない。が、70年代後半~80年代前半のソウル・シーンにおいて彼らが突出した才能を見せていたということは、近年続々とリイシューされている彼ら絡みの作品を聴けばあきらかだろう。猫も杓子もディスコという時代に、凡百のディスコとは一線を画すクォリティーとセンスをもってNYサウンドを作り上げたコンビ。そんなふたりが今回の主役である。

とにかく曲がいい。サウンドがいい。そのクォリティーの高さは、ジャズ・ミュージシャンというふたりの出自に負うところも大きいだろう。特にジェイムズ・エムトゥーメイ。フィラデルフィア出身でジャズ・サックス奏者のジミー・ヒューズを父親に持つこの男は、フレディ・ハバードやハービー・ハンコックらと共演し、70年代前半にはパーカッション奏者としてマイルス・デイヴィスのバンドに5年近く在籍。75年に『Agaruta』『Pangea』としてリリースされるマイルスの来日公演にもギタリストのレジー・ルーカスと参加し、ポリリズミックなパーカッション・プレイでジャズ・ファンを唸らせた。

 

 

その後マイルス・バンドを抜けたエムトゥーメイは、バンドの同僚だったルーカスとコンビを組んでソウル方面に進出。そこで最初に手掛けたのがロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの“The Closer I Get To You”で、同時にヴァイタミン・Eなどに関わりながらソウルの裏方としての足場を固めていく。そうしたなか、セッション仲間と共に立ち上げていたのが、自身のセカンド・ネームを冠したエムトゥーメイというグループだった。ここにはエムトゥーメイ&ルーカスに加え、同じく後にプロデューサーとして名を馳せるヒューバート・イーヴスやハワード・キングのほか、女性シンガーのタワサ・エイジーも在籍。当初はPファンクの二番煎じ的な雰囲気も強かったが、やがてファンクのエッジを持ったキビキビしたリズムと壮麗なストリングスで独自のスタイルを確立し、フィリー・ソウルの豪奢なグルーヴをNY流にアレンジしたようなスタイリッシュなサウンドで数多くの作品に関わっていく。その顧客にフィリー関連のアーティストが多かったのは、彼らの音作りがフィリー・ソウルをベースにしていたからでもあるのだろう。また、NYサウンドということではシックのナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズと双璧を成し、ルーサー・ヴァンドロスやカシーフのサウンドを先取りしていたとも言える彼ら。79~82年にこのコンビが手掛けた楽曲は、本当にクラシックと呼べるようなものばかりで、ソウルがブラコンへと移り変わるスリリングな瞬間を体現していたと言っていい。

が、話はそこで終わらなかった。この後ふたりはルーカスがサンファイアを結成したのを機に袂を分かつが、ルーカス(ら)が脱退したグループとしてのエムトゥーメイにはさらなる成功が待っていたのだ。そう、“Juicy Fruit”のヒットである。ルーカスの不在を逆手に取るかのようにリズムよりもビートを重視した、クールでエッジーでセクシャルなデジタル・ビートのファンクは、83年に8週間に渡ってR&Bチャート1位をキープ。これがエムトゥーメイ・サウンドとして世に広まり、それは仲間のタワサ・エイジーやリヴァートの作品などにも応用されていった。

そんなエムトゥーメイも、やがては最先端のシーンから退くことになる。しかし、90年代以降のジェイムズはTVドラマのサントラ『New York Undercover』をはじめ、メアリーJ・ブライジやK-Ci &ジョジョ、リーラ・ジェイムズらの作品に関わり、名曲リメイクなどでソウルの良心ぶりを発揮。つまり、ジャズを原点とする高度なプロダクション・スキルは時代を選ばないということなのだろう。だからこそ彼が過去に生み出した楽曲群も、いまなお燦然と輝き続けているのだ。

 

▼エムトゥーメイ結成前のジェイムズが関与した作品を一部紹介。

左から、マイルス・デイヴィスの72年作『On The Corner』(Columbia)、マッコイ・タイナーの73年作『Song For My Lady』(Milestone)

 

▼90年代以降のジェイムズ参加盤を一部紹介。

左から、メアリーJ・ブライジの97年作『Share My World』(MCA)、ビラルの2001年作『1st Born Second』(Interscope)、リーラ・ジェイムスの2005年作『A Change Is Gonna Come』(Atlantic)