苦しみの果てに自分なりの歌を見い出し、野心的な仲間と共に名声を掴んだサザン・ソウルの名花、キャンディ・ステイトン。今回は世界待望のコンプリートなフェイム音源集をきっかけに、再評価を繰り返してきたそのキャリアを振り返ってみましょう
サザン・ソウルのファースト・レディー。そう呼びたくなるほどキャンディ・ステイトンに対する支持は揺るぎない。特にフェイムに残した楽曲はソウル・ファンの宝とされるほど。ゴスペルを基盤とする出自も含め、アレサ・フランクリンと浅からぬ関係にもあった彼女は、レディー・ソウル史に太字で名が刻まれる存在だと言っていい。
キャンゼッタ・マリア・ステイトンとしてアラバマ州ハンツヴィルの貧しい家庭に生まれ育った彼女(1943年生まれという説が有力)の音楽キャリアは、幼い頃に姉と組んだゴスペル・グループから始まった。やがてナッシュヴィルの寄宿学校に送られ、そこで加入したジュウェル・ゴスペル・トリオとして同地のナッシュボロからレコードを発表。が、17歳の時、当時ピルグリム・トラヴェラーズの一員だったルー・ロウルズと駆け落ちし、続いて故郷アラバマの司祭の息子との間に子供を作り、結婚。アレサの歩みにも似た劇的な10代を送ったわけだが、その後7年間の子育て生活を経て、兄の勧めで世俗音楽の世界に足を踏み入れた際に出演したクラブで歌ったのも、アレサの“Do Right Woman-Do Right Man”だったという。
こうして窮屈なゴスペルの世界と嫉妬深い夫のもとから飛び出したキャンディは、後に夫となるクラレンス・カーターのツアーに参加。ゴスペルしか歌ってこなかった彼女にとって世俗音楽の世界は不慣れで、戸惑いもあったという。だが、ジェリー・バトラーなどからの助言もあり、徐々に世俗のシンガーとしての作法を身につけていく。そこで彼女を迎え入れたのがフェイムだった。
フェイム(FAME)。アラバマ州マッスルショールズで59年に立ち上げられたスタジオ兼音楽出版社〈Florence Alabama Music Enterprises〉を母体とし、リック・ホールがその頭文字を取ってレーベルにまで発展させた名門だ。初期にはジミー・ヒューズらの楽曲をヴィー・ジェイの配給で送り出していたが、やがてアトランティックの原盤制作を請け負うようになり、パーシー・スレッジ、ウィルソン・ピケット、アーサー・コンリーらのヒットを輩出。そうしたなかにアトランティック入社直後のアレサ・フランクリンもいた。が、ほどなくしてアレサのセッションではフェイムのスタジオ・ミュージシャンがNYに集められ、南部では録音されなくなる。このことでリックはアトランティックと揉め、キャピトルと配給契約を結ぶのだが、そこにクラレンスが連れてきたのが、アレサを慕うキャンディだったというのだからおもしろい。
すでにユニティから出したシングルでフェイムの音をバックに歌っていたキャンディが、レーベルとしてのフェイムから最初に発表したのは、68年録音の“I'd Rather Be An Old Man's Sweetheart(Than A Young Man's Fool)”。この時の様子を、後年彼女は「アレサになった気分だった」と語っていたが、なにしろバックはアレサのフェイム録音曲とほぼ同じ。ソウル・ファンが熱狂するポイントも、そこなのだろう。しかし、キャンディは声を張り上げて歌うアレサとは違い、広い声域を持たない代わりにハスキーな声を活かしてディープに歌い込むタイプ。これについてはリック・ホールがキャンディに何度も歌わせることで声を嗄らせたというエピソードも残っているが、ブルージーな歌唱でありったけのエモーションを表出するその歌は、デビュー前に辛く苦い時間を過ごした人生経験による賜物だと言ってもいい。
フェイムでの最大のヒットは70年の“Stand By Your Man”。もとはタミー・ワイネットが60年代後半にヒットさせたカントリー・ソングだが、3代目のフェイム専属バンド=通称〈フェイム・ギャング〉によるボトムの効いた演奏によって曲はソウルフルに生まれ変わった。また、オリジナル曲の多くでは、フェイムのスタッフ・ライターだったジョージ・ジャクソン(オズモンズのデビュー曲も書いていた)がペンを取り、楽曲にも恵まれていた。
フェイムで3枚のアルバムを出したキャンディは、同社の閉鎖に伴ってワーナーと契約。初作『Candi』(74年)こそ引き続きリック・ホールによる南部録音となったが、サザン・ソウルが時代の感覚とマッチせず、次作では西海岸に出向いて、デヴィッド・クロフォードの制作でダンス・ナンバーに挑戦。その結果生まれたのが彼女の代表曲となる“Young Hearts Run Free”(76年)である。その後もジミー・シンプソンらを迎えてNYサウンドに挑戦し、シュガーヒルからもアルバムを出すが、やがてゴスペルに回帰。一方、ワーナー時代の楽曲群はハウス方面から再評価され、そんな後押しもあって作られたのが99年の『Outside In』だった。そして、さらに時代が一回りしてディープなソウルがブームとなり、2004年にフェイム時代の編集盤が出されたのを機に、オネスト・ジョンズからは現在までに2枚の新録作をリリース。フェイム時代を彷彿させる音と歌に多くのファンが感涙したが、だからこそいま、キャンディがフェイムに残した楽曲もふたたび光り輝く。素晴らしい時代になったものだ。
▼フェイム関連盤。
左から、パーシー・スレッジの66年作『When A Man Loves A Woman』、アーサー・コンリーの67年作『Sweet Soul Music』、ウィルソン・ピケットの69年作『Hey Jude』(すべてAtlantic)