文房具、町中華、スナック……玉袋筋太郎が語る“昭和あるある”!“昭和100年”の節目に昭和のカルチャーを振り返る
法やルールが緩く、良くも悪くもいい加減で自由だった昭和時代。昭和の記憶や常識は、平成、令和と時を経て薄れつつある。そんな昭和の“あるある”を知ることができるのが、玉袋筋太郎が「週刊大衆」で連載中の「昭和あるある」だ。
さらに、玉袋が過去に連載していた「玉袋筋太郎の国語・算数・理科・スナック[ルビ:しゃかい]」「町中華は大瓶だよな」からも数エピソードを抽出し、“昭和100年”の節目となる2025年を機に「玉袋筋太郎の#昭和あるある」として書籍化。昭和を知る世代にも知らない世代にも懐かしさを感じさせる、昭和の風情をまとめた一冊だ。
●昭和が生んだ遊び心満載の文房具
昭和時代には、ルービックキューブやスライム、ブーブークッションといったユニークなアイテムが流行した。中でも印象深いのは、昭和40年代後半から黄金期を迎えた文房具。多くのアイデア文房具が発売され、今でも現役の定番商品もこの時代に生まれている。
例えば、くれ竹が最初に発売した「筆ペン」はその一つだ。墨を摺ることや墨汁を使う手間もなく、簡単に筆のような“味”を出せることは大発明だったという。また、シャーペンとボールペンを合体させた「シャーボ」や、クレヨンと色鉛筆の良いとこ取りをした「サクラクーピーペンシル」など、昭和に生まれた画期的な商品は今でも活躍している。
もうさ、あの頃の“俺たちの文房具”の話してたら止まらないね。
「玉袋筋太郎の#昭和あるある」より
昭和の文房具は、文房具の域を超えてオモチャに近いものも多い。昭和50年以降、スーパーカーやウルトラマン、キン肉マンなど、ブームを巻き起こしたモノはどれも消しゴムになった。しかし、これらは使うと文字は消えずに紙が真っ黒になり、消しゴムとしての役割を一切果たさなかったという。その他、六角型で振るだけで野球ができる消しゴムや、20色の替え芯が詰まったロケット形鉛筆など、遊び心のある文房具が多く発売された。
●昭和時代の映画事情
現代では、サブスクなどで気軽に見られる映画だが、昭和時代はそう簡単に見られるものではなかった。そのためか、映画の半券やパンフレットといった映画グッズは全てが“お宝”だったという。映画チラシもその一つで、当時のマニアは映画館名が印字されているチラシをこぞって収集していた。
映画雑誌でも、チラシだけの特集号や付録にチラシが付くことまであったという。さらに、前売り券とチラシを抱き合わせで販売する映画館もあるほど、映画チラシブームは加熱していたのだ。
意外な話では、地方都市では洋画の新作を“二本立て”で上映されることが一般的だったという。昭和54年は「スーパーマン」と「エイリアン」、昭和55年は「マッドマックス」と「スターウォーズ帝国の逆襲」などが同時上映されていた。また客を“入れ替える”という概念もなく、入場料を払えば朝から夜まで映画鑑賞をできたというのは、昭和の“いい加減さ”の象徴かもしれない。
●街に根付く町中華の温かみ
“昭和の原風景”ともいえる町中華。現代では、レトロな店構えや親しみ深い味でブームとなっているが、玉袋のような50代以上の人にとっては当たり前の存在だった。そもそも昭和の時代には、個人営業のラーメン専門店はほとんどなく、玉袋にとっては「ラーメン屋=町中華」というイメージだったという。小学校の同学年に1人は町中華の家の子がいるほど馴染み深く、家族全員で同級生の店に食べに行くこともあったようだ。昭和における町中華は、地域密着で日常生活に溶け込む存在だった。
しかし、町中華は後継者問題もあって減少の一途を辿っている。そんな現代において、長年愛される町中華を探す裏技があるという。それは、看板などで電話番号が“下3ケタ”の店を見つけること。電話番号が合計10ケタとなったのは1991年のことで、1ケタ少ない店は30年以上生き残っている店ということらしい。町中華は“ライフスタイル”だと語る玉袋だが、町中華を好きな理由について次のように話している。
町中華に通う理由は何か。もちろん“町中華の味“は好きなんだけど、“町中華の空間“が好きなのかもしれない。
「玉袋筋太郎の#昭和あるある」より
読後は、町中華の懐かしく温かな空間へと、足を運びたくなるに違いない。
本書は、玉袋の目線で様々なテーマの“昭和あるある”が綴られている。時代は大きく変わったが、自由で大らかだった昭和時代の営みをこの本は思い出させてくれるだろう。
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掲載: 2025年01月29日 21:40