インタビュー

M.I.A. (UK Dance)(2)

運命はそうさせなかった

 こうして『Kala』は南半球の子供たちの嬌声が随所で響く大傑作となったわけですが、本作は決してコスモポリタン賛歌を謳うようなハイ・アートな代物ではありません。むしろ、前作以上にダーティーなグルーヴに溢れたベース・アルバム! シカゴ・ハウス直系ビートの上でボリウッド・ムーヴィー風のサンプルが弾ける“Bamboo Banga”に始まり、インド録音の強烈な三連トライバル・ドラムをフィーチャーしたキラー・ブレイクス“Bird Flu”があり、90年代のUKレイヴ・シーンに捧げられたディプロ作のボルティモア・ビート“XR2”があり、アボリジニの子供たちと戯れたモーガニクス制作のディジュリドゥ・ヒップホップ“Down River”があり、ブラックスターの地下スタジオで制作された“The Turn”があり……。大部分の制作を担ったスウィッチことデイヴ・テイラーは、実は『Arular』でもサポート参加していたのですが、大ヒット曲“A Bit Patchy”でお馴染みの珍種ブリープ・ハウスからミス・シング“Love Guide”のような異型ダンスホール・レゲエまでを手掛けるその(隠れ)多芸ぶりは、今作で十二分に引き出されたといえるでしょう。

「彼はすべてをおもしろがってトライしてくれた。アルバムには未収録だったけどインドで録音した曲で、コーラスの部分に本当の娼婦たちの声を入れたかったものがあって。売春街で娼婦たちを集めて歌ってもらったんだけれど、そういうアイデアを出しても、夜な夜な蚊に刺されながらノリノリでレコーディングしてくれたりしたの」。

  こうして2作目の関門をアクティヴに突破した移動性高気圧ガール、M.I.A.。2年前からNYはブルックリンのアパートに居を構えたものの、ツアーの多忙さやビザの問題もあって正味1か月しか住めていないとのこと。

「今回はいろいろな選択肢があった。もし私がすぐにUSに入国できていたら、ティンバランドとレコーディングして、次のネリー・ファータドになっていたかもしれないわね。けれども、運命はそうさせなかった。本当に何もないなかで、その場にあるものを使って音楽を作らなくてはいけなかったの。そして、こんなアルバムが出来た。そういう意味ではNYに戻っても何をするのか見当もつかないわ。USのアーティストは何から何まで揃ったスタジオに慣れているかもしれないけれど、私はむしろ逆の環境に慣れてしまったから」。

 彼女がUSに腰を落ち着かせた時、次はどんなアクションを起こすのでしょうか。まずは『Kala』のビートを乗りこなし、その時に備えておきましょう。

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掲載: 2007年08月16日 11:00

更新: 2007年08月30日 18:05

ソース: 『bounce』 289号(2007/7/25)

文/リョウ 原田