INTERVIEW(3)――言葉にある音色
言葉にある音色
──例えば先ほど話にも出たTwitterだったり、あるいはメールもですが、日常的に使われるようになりましたよね。そこで多くの人が、言葉を発するという行為自体の大切さや意味みたいなものに改めて気付きはじめてるんじゃないかなって思ったりもするんですが。
三浦「言葉が溢れてるとひとつひとつの言葉の意味が薄れるように思われちゃうのが辛いところですよね。例えば秋刀魚が大量に獲れたら秋刀魚が安くなっちゃうし、1匹あたりの価値が下がっちゃうけど、美味さは変わらないんですよね。大量に獲れる時期のほうが旬だから美味しいわけだし。だけど、言葉が溢れることで価値が下がっちゃうから、どうせ俺が何か言ってもなあ……みたいなことって、みんな思うんじゃないですかね? 俺自身もそう思うし。だけどまあ〈どうせそんなこと言っても……〉と思われてることを前提にして、だけどあえて何か言ったほうがいいのかなって思うんですよね」
いとう「20世紀の終わりにネットが普及していくにつれて映像の時代が来るってずっと言われ続けてきたけど、俺は絶対に文字の時代だと思ってたからね。だって、みんなすごい勢いでメールし出してるじゃん? 年賀状しか書いてなかったような連中がさ、毎日のように何か書いてるんだよ(笑)? じゃあ、それだけ使ってるってことは、文字っていうのはどういう効果を持っていて、どういう制限を持っているものなんだっていうのをちゃんと考える人がいないといけないワケじゃない? それを文学者がちゃんと考えているかっていうと、自分のお話では考えているかもしれないけど、少なくとも活字では考えてないと思う。メディアも含めてね。そういう意味では、ここで口ロロが文字に焦点を当ててるのはすごく意義のあることだと思うよね」
シゲ「たとえば、Twitterでネガティヴな発言をしたら、みんなネガティヴに受け取りがちじゃないですか? でも、言葉ってそういうことじゃないと思ってて。俺が信じてるだけなんだけど、基本的に人が生まれたら人が死んでるし、それはほぼ同時だと思うんです。いいことあったら悪いことある、みたいな。じゃあ、悪い言葉を言ったとして、それがひとつの意味に取られるのは俺は好きじゃない。場面によっても意味合いが変わってくるし、受け取る側のシチュエーションも違うし、10歳か50歳かでも読み取り方が違ってくる」
三浦「ある人は差別と受け取っても、ある人はすごくいい言葉として捉えるかもしれないし」
シゲ「そう。だから、言葉が場面によって意味を変えていくっていうのは、今回の作品のなかにも入ってると思います」
──言葉ってわりと画一的に取られがちだけど、文字面の奥には言葉を発する側のいろんな心情も織り込まれているはずですからね。
いとう「だから、難しいんだよね。ある意味ではいちばん貧しい情報なんだから、文字っていうのは。たとえば〈若さ〉って言葉を取っても、それを発する人全員の〈若さ〉の音色が違うのにさ、これしか書いてないっていう。だけど、その代わり、この貧しさこそが3世紀後でもわかる理由なんだよね。そういうことまで考えて、みんなやってんのか!?っていうね」
シゲ「おおっ、そうですね。おい、チキンども!」
いとう「おい、チキンども!って(笑)。臆病かどうかは関係ないから」
──でも、いまおっしゃっていた〈3世紀後〉でも伝わるような、言葉や文字が持つ強度みたいなところは、せいこうさんの“ヒップホップの経年変化”の内容にも通じるように思えるんですが。
いとう「言葉に音色を持つ人たち、落語、義太夫節、レゲエ、思想家、そういう人たちの言葉が……単にフリースタイルでテクニカルに韻が出てくるとか、まあ、僕ができないっていうこともあるんだけど、正直そんなことはどうでもいいって思ってるんですよね。そんなこといずれ、シャッフルして機械でもできるようになるからさ。そうじゃなくて、こういうすごい人たちって、一言発すればもう説得されちゃうみたいな、音色を持ってるんだよね。で、俺は、時間をかけて、何回も何回も人前でやって、稽古してつけた力みたいなものをヒップホップって呼んだらいいんじゃないかって思ったんだよね。ヒップホップが新しさだけだと思ったら、大間違いなんじゃないの?っていうことはずっと思ってて。それを今回言ってみてるんだけど、自分も言う以上は、もう洗脳されちゃうような音色で言わないと意味ないじゃないですか? 俺がやれてないのに〈経年変化〉とか言ってもね。だから、どうしたらいいんだろう?って思って。とりあえず、49年間でいちばん、張りのある声は出せたと思ってる」
──余談になるんですが、一昨年の11月、高木完とZeebra主催のヒップホップ・イヴェントにせいこうさんがDub Master Xと二人でライヴやられてましたよね。あの時に観に行ってて、せいこうさんが20数年前に発表した“東京ブロンクス”のリリックに、若いお客さんも大いに衝撃を喰らってたのが印象的で。
いとう「そう、あの時も、若い子たちがウォーウォー言ってるけど、負ける気がしなかったっていうかさ。この子たちのほうが息は続くかもしれないけど〈お前、10分後見てろ。アタマが狂ってるから〉っていう気持ちだよね。場数踏んでるから、こっちは。そういう古典芸能があってもいいんじゃないの?っていう気持ちはあったし。今回“ヒップホップの経年変化”で、それを改めて言葉にして言ったわけ」