INTERVIEW(2)――モーニング娘。みたいになりたかった
モーニング娘。みたいになりたかった
――今回の取材では子供の頃の話からじっくり訊きたいんですけど、もともとどういう家庭でどんなふうに育ったんですか?
Megu「え~と……お父さんとお母さんから生まれたんですけど……」
――そりゃそうです(笑)。
Megu「お父さんが結構元気がよくて明るくて、そういうところが似てるらしくて。それがすごいいいなと思っていて。理想のタイプがお父さんっていうのもあるんですけど、お父さんには夢があって」
――どんな夢ですか?
Megu「お店を開くっていう。ウチ、中華料理屋をやってるんですよ。その夢をずっと抱いてて、それを叶えてお店を持つことになって。ずっと夢を持ってて成功したっていうのを間近に見たので、私も絶対夢を諦めないで成功させたいなって思ってます」
――その夢が武道館でライヴをすることなんですね。
Megu「武道館もそうですし、Negiccoが全国に知られてオリジナルの楽曲とかをいろんな人に聴いてもらいたいです」
――お母さんはどんな人ですか?
Megu「おとなしいですね。お父さんと私がうるさいっていうか元気があるので、それを優しく見守ってる、みたいな。お父さんがグイッといくタイプなので、お母さんはそれを支えるタイプの人です。あと、姉がいるんですけど11歳離れていて、姉がいたから小学校のときからいろんなものに詳しかったです。みんなが知らないものを自分が知ってたりして、友達と話が合わなかったりっていうのもあって」
――お姉さんの影響で芸能界に興味を持ったわけですか?
Megu「それはありました。新潟に子供ミュージカルっていうのがあって、姉に〈オーディション受けてみたら?〉って言われて、それがきっかけでダンスとか歌とか演技に興味を持って。いまはもうないんですけど、そのとき新潟にタレント養成スクールがありまして」
――小川麻琴さんを輩出したことでお馴染みのアップル・リトル・パフォーマーズですね。ボクもCDを買いましたよ、当時。
Megu「ありがとうございます(笑)。いま、もう売ってないですよね」
――Amazonにもなかったです。小川麻琴(*)参加ってことで買ったんですけど、あれにNegiccoの3人も参加してたんですか?
(*新潟出身。2001~06年までモーニング娘。に在籍)
Megu「はい、ジャケット写真にも写ってます。それに第1期生で入りまして。モー娘。さんみたいになりたいとか、TVとかに出たいっていうのがきっかけで。Nao☆ちゃんもそこに入るときのオーディションで初めて会って、スクールに入ったら〈2人とも受かったんだ!〉って、年が近いこともあって、そこから仲良くなりました」
――小川麻琴さんも1期なんですか?
Megu「2期なんですよ。小川麻琴さんは年上だったんですけど優しくて、すごい仲良くしてもらいました」
――つまり、後輩から憧れのモーニング娘。入りする人が出てきたわけですね。
Megu「麻琴さんがモー娘。に入ったことによって、みんなもいろんなオーディションを受けはじめたりとか、自分もがんばればできるんじゃないかなって夢はすごい広がったと思います」
――アップル・リトル・パフォーマーズでCDを出したのって、2期ができてすぐぐらいですか?
Megu「2期ができて曲ができて、歌うチームとダンスするチームに分かれてアルビレックス新潟の試合の前に歌ったりとか、ステージをだんだん重ねていってCD化した、みたいな感じですね」
――CDリリースが99年で、小川麻琴さんのモーニング娘。入りが2001年で、そして2003年にNegiccoが結成されるわけですけど。
Megu「Negiccoは、〈やわ肌ねぎっこ〉っていうキャンペーンがあって、そのオーディションが〈元気がある子、大募集!〉みたいな感じで、自分のことじゃないかなって思うぐらいその言葉がすごいグッときて。それで受けてみようと思ったら、見事受からせていただいて。歌も全然うまくないし、ダンスもうまくないし、しゃべりもなんにもうまくないんですけど、元気がいいところを評価してもらったのかもしれないです」
――2004年のシングル“恋するねぎっ娘”(*)も当時買いましたけど、まさかここまで化けるとはまったく思ってなかったです。
(*オリジナルは2003年にリリース。翌年に全国流通盤としてリパッケージされた)
Megu「フフフフフ。私、いちばん変わりましたよね(笑)。いちばん変わったって言われるんですよ」
――いや、みんな変わりました。音楽的にも外見的にも、ダンスのクォリティーから何から、ここまでになるとは誰も思わなかったはずですからね。確実に企画もので1枚で終わるだろうなっていう感じで。
Megu「確かに。ただ、あの“恋するねぎっ娘”が出たときに、自分たちが思ったより反応がすごく良かったので、これでイケるんじゃないかなと思ってて。そのときちょうど『ポップジャム』とかにも呼ばれて。
――いきなりNHKの全国放送に出ましたもんね。
Megu「だから、もう来ると思って(笑)。〈♪ねぎねぎねぎっ娘って歌うおもしろいユニットがいるぞ〉みたいな感じで」
――スピードワゴンさんも言ってましたからね、「♪ねぎねぎねぎっ娘って曲がおもしろくてラジオで流した」って(*)。
(*後述する『ヌキ天』で司会を務めていた)
Megu「はい。インパクトがすごいあるみたいで、これはイケるんじゃないかなって思ってたところでドーンと」
――ドーンと何があったんですか(笑)。まずスクールがおかしくなってきて?
Megu「そうですね(笑)。スクールもおかしくなりましたし、もともと1か月間限定のユニットだったので、そこからまず話が変わってきて」
――手応えがあるから、もうちょっとやろうかって感じになったんですかね?
Megu「そうなんですよ。でも“恋するねぎっ娘”しか曲がないってなったときに、ちょうどNegiccoのいちばん最初のファンになってくれたconnieさんっていう方が……もともと〈トキメキ★ハイスクール〉っていうDJイヴェントがあって、そのテーマ曲みたいな感じで“トキメキ★マイドリーム”っていう曲があったんですね」
――要は、Negiccoの作曲家として知られるconnieさんはDJやるとき自分の曲を自分で歌う人だったわけですよね。
Megu「そうなんですよね。その方が〈Negiccoに“トキメキ★マイドリーム”を歌ってもらいたい〉って言ってきてくださって、なんとか2曲で30分のステージをやったりとか(笑)。あのひどいトークと、同じ曲を2回やったりとか、そういう感じで乗り切ってたんですよ」
――相当グダグダだったでしょうね。いまほどの慣れもないわけで。
Megu「ハハハハハ! そうでした、ホントに(笑)」
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