キップ・ハンラハン
photo by TAKUO SATO 2011年ブルーノート東京公演より
そしてまた、話はあらゆる方向へ逸れていく──
昨年末に、新作『アット・ホーム・イン・アンガー』に参加しているミュージシャンを中心としたバンドを引き連れて来日し、ブルーノート東京で計6回公演を行ったプロデューサー兼作曲家のキップ・ハンラハン。このブロンクス生まれの奇才へのインタヴューは、本人の要望で某日の夜中、新宿ゴールデン街の狭いバーの片隅で行われた。キップは挨拶をするやいなや、自分の言いたいことや質問をまくしたて、結局、1時間以上にわたって独演会を繰り広げた。もちろん、ウィスキーの入ったグラスをときどき口に運びながら。裏話を披露すると、キップはある取材で指摘されたことや話題になったことを、その後に行われた取材でまるであらかじめ用意していたかのように語る。現に、このインタヴューの席で僕が話題にしたことを、キップはすでに活字になっている他のインタヴューで自ら語っていたが、このような愛すべき詐欺師ぶりは、彼のプロデュース作品に良い形で反映されている。なぜならキップの音楽は〈ジャズ〉でもなければ、〈ラテン〉でもなく、〈ニューヨーク〉の音楽──本物か偽物かという二元論では捉えきれない、一種の幻想としての都市音楽なのだから。ともあれ、4年前にインタヴューした時と同じく、たちまち言葉の奔流に飲み込まれた再会だった。たしか大江健三郎が若い頃に書いた小説の中に『饒舌家は英雄になれない』という一文があったと記憶しているが、キップは英雄になる気などさらさらないようだ。
最新作『アット・ホーム・イン・アンガー』のジャケットとインナースリーブを飾っているのは、ブラジルの写真家アレール・ゴメス(1921〜92)の作品。どちらもブラジルのカーニバルの一コマを捉えた写真だが、僕はとりわけインナースリーブの写真に惹きつけられた。一人のボーイッシュな女性が愉悦の表情を浮かべながら、路上に横たわっている。傍らにいる2人の女性はその女性の頭を抱きかかえているので、おそらくトランス状態にあるのだろう。ただし、介抱している2人の女性も、微笑んでいる。アレールは、ギリシャ彫刻のような肉体美を誇る男性の裸体をカメラに収めた作品で知られるゲイの写真家だが、この写真も妙に官能的な作品だ。
「81年頃、私が映像作家のジョナス・メカスのもとで働いていた時、アレール・ゴメスがジョナスを訪ねてきて、その時に初めて会った。当時のニューヨークにはジョナス・メカス、アンディ・ウォーホル、ジャック・スミス、ケネス・アンガーなどアヴァンギャルドな映像作家がたくさんいたので、アレールは彼らに会いに来たんだ。私はアレールがブラジル人ということで、身振り手振りを交えながら一生懸命話しかけ、色々なことを質問したんだけど、その時に彼が写真を4、5枚くれた。そのうちの2枚がこれで、71年のカーニバルの写真だそうだ。他の写真はどこかにいっちゃったし、この2枚の写真をアルバム・ジャケットに使うなんて思ってもいなかったけど、どうだい、良い写真だろう?」
『アット・ホーム〜』は、ブラジルのカーニバルと直接関係があるわけではなく、また、過去のキップのアルバムと比べて、ブラジル音楽の割合が格段に多いというわけでもない。しかし、《At Home In the Night》の歌詞の中にはエリック・ドルフィー、ルー・リード、パンナラル・ゴーシュ(インドのパンスリ奏者)と共にシコ・ブアルキの名前が出てくる。『彼らがいるから、俺たちは夜に独りじゃない』という文脈の中に。
「06年にリオデジャネイロに半年間滞在したことがあるんだけど、その時にシコ・ブアルキとルベン・ブレイズの共演アルバムを作ろうと計画したことがあった。残念がらその計画はスタートする前に経済的な理由で中止になってしまったけど、85年か86年頃にはアストル・ピアソラが曲を書き、シコが歌詞を書くというプロジェクトを計画したこともあった。実際にシコは何曲かの歌詞を書き上げたんだけど、アストルが亡くなってしまったので、陽の目を見ていない。この歌詞の良し悪しを判断する相手がいないという理由でね。シコ・ブアルキは、私にとって英雄の一人だ。シコほど文学的才能に恵まれたミュージシャンはそういない。実際にシコの歌詞はよく磨き上げられていて、技術的にはコール・ポーターに匹敵するほどのソング・クラフトだと思う。ルー・リードに関しては、彼の作品が本当に好きだった時期もあるけど、フェルナンド・ソンダースの仲介で会ったことがあるという程度で、個人的に親しいわけじゃない。だから彼がこの曲を聞いたら、『なんで俺の名前を出したんだ』って怒るだろう(笑)」
『アット・ホーム・イン・アンガー』は、夜を孕んでいて、しかも行間から男と女の呻きや囁き、ざわめきが聞こえる。それゆえ音世界はモノクローム的でありながら、艶やか。つまり、とても官能的なアルバムだ。