INTERVIEW(2)——セッション性が強くなった
セッション性が強くなった
マツモトコウタロウ(ベース)
――そもそも、『7 songs EP』は思い出作りというか、わりと軽いノリで作った作品だったとか?
「そうですね。僕らが音楽をやったらどんなものになるんだろうっていう、やってみようぜ精神で完成したものなので(笑)」
――でも、それをFLAKEに持っていったらリリースをすることになったと。ショップにはもともとよく通ってたんですか?
「僕の家は滋賀なのですが、ベースの奴が大阪に住んでて、FLAKE RECORDSに通ってたみたいです。それで〈いつか渡したい〉って言ってて」
――実際、リリースの話が出たときはどう思いました?
「相当びっくりしましたね。僕はあんまり大阪に出てなかったとはいえ、〈FLAKE RECORDS〉っていう名前はもちろん知ってたんで、〈あそこのレーベルって日本人バンドおらんよね?〉っていう(笑)」
――でも大学は京都だから、大阪のシーンよりも京都のシーンからいろいろ刺激を受けてる?
「それは正直ないんです。ライヴをするのは京都より大阪のほうが多くて、どっちかと言うと、大阪のインディー・シーンをよく見てます」
――そうなんですね。京都のSECOND ROYAL周辺との繋がりがありそうなイメージでしたが。
「SECOND ROYALに関しては、小山内さん(SECOND ROYAL代表)に良くしていただいてるんですけど、あんまり京都に仲いいバンドはいないんです。OUTATBEROはすごく尊敬してるんですけど、そもそも前のEPを出すまでは日本のインディー・シーンを全然知らなかったので」
――そっか。自分たちの音源を出して、ライヴの本数が増えて、そこで知っていったわけですね。
「そうですね。ライヴ活動を続けることで考え方も変わって、それまでも一応ライヴはやってましたけど、お客さん2人とかだったんですよ(笑)。でも観に来てくださる方が増えて、何を伝えるか、何を観せるかって言うことを考えるうちに、曲の作り方にも影響が出てきたと思います」
――『BETWEEN THE BLINKS』は非常に曲調の幅が広い作品になりましたが、制作を始めるにあたって青写真のようなものはありましたか?
「それは全然ないんです。一曲一曲作って、それを通して聴いたときにいちばん流れのいい曲を選んだっていう感じですね」
――『7 songs EP』を出して以降、曲作りの方法はどう変わりましたか?
「セッション性が強くなってますね。僕がデモを持っていっても、原曲がほぼなくなるぐらい変化するようになりました」
――じゃあアルバムのなかで、デモと実際の仕上がりが全然違う曲を挙げるとすると、どれになりますか?
「“The Morning”は全然違いますね。もっとテンポが速くて、フェニックスみたいな曲だったんですよ。3個ぐらいパターンがあって、結果的にだいぶ土臭い感じになりました」
――“Hey Folks”とかもそうだけど、このあたりの土臭くてフォーキーな感じっていうのは、途中で言ってたブライト・アイズあたりの影響が出てるってことかな?
「そうですね。ちょっと落ち着いたというか、どっしりした音楽もやりたいなって。EPを作ったときはメンバー全員がインディー・ロックばっかり好きで聴いてたんですけど、それ以降はもっと普遍的なものに影響を受けてる率が高くなってると思います」