cali≠gari 『1』
[ interview ]
6月22日に活動休止から10周年を記念したワンマン・ライヴ〈caliversary in YAON“2003-2013”「死せる青春」Days which made adolescence, and…〉を日比谷野外音楽堂で開催したヴィジュアル系バンド、cali≠gari。同日にはバンドの20周年プロジェクトの第1弾となるセルフ・カヴァー集『1(正式表記は左右反転)』が会場先行でリリースされたが、その全国流通がいよいよ7月10日より開始となる。活動初期から復活後の楽曲までの新ヴァージョンが6曲収録された同作は、幅広い音楽性を身上とする彼らからすると、ハードコアなサウンドと狂気を孕んだ詞世界にグッとフォーカスしたような仕上がり。そこには、cali≠gariの音楽のコアを形成するあるひとつの側面が色濃く滲んでいて……その点を探るべく、桜井青(ギター)に話を訊いた。
cali≠gariってどんなバンドだったっけ?
──〈死せる青春〉と題した野音ライヴですが、やってみていかがでした?
「良かったですよ」
──やはり、ステージから見る景色は10年前とは違いました?
「いちばん眺めが良かったのは、ステージから見た景色だったんだろうなっていう感じはしましたね。さっき野音の映像を確認してたんですけど、“オーバーナイトハイキング”(照明を完全に落として、観客が懐中電灯を振る演出がある)とか、すごい綺麗でした。例えて言うんだったら、花火を真下から観ているような感覚でしたね。“さよなら、スターダスト”も雨に照明が当たって流星のようでしたし。あと“青春狂騒曲”は、ホントはやらないつもりだったんですけど、結局やってよかったなって。ちょうど夕暮れに差し掛かったときでしたけど、お客さんも空も良い感じで、弾きながら〈10年前に観た景色と同じで、まったく違うんだ〉と思いましたね。あのときは、〈この“青春狂騒曲”を弾いてるそばからどんどん、もう二度と弾くことはなくなるんだ〉って思っていたのが、今回こういう機会があって、これからも同じメンバーでやっていくんだし、って。すごい感慨深くなっちゃいましたよ(笑)」
──アンコールは今回の『1』を丸ごと演奏するというものでしたが、全体的なセットリストの流れも良くて。
「セットリストは石井さん(石井秀仁、ヴォーカル)とか研次郎君(村井研次郎、ベース)に全部任せちゃったんですけれど、全員の共通認識としてあったのは、いわゆる定番曲は外すということで。ここからは僕の意見なんですけど、野音って、僕にとっては〈死せる青春〉というタイトルをつけなきゃいけないぐらい特別な場所で。だから今回は、〈cali≠gariって本来どんなバンドだっけ?〉っていうことを示すために、演出や流れみたいなものをより裸にしていく作業だったっていうんですかね? ドラァグクイーンが出て来るみたいな、派手な演出は横に置いて、今回は日の入りの時間も計算するとか、都会の真ん中に自然があるっていう特殊な空間を最大限に利用して、定番曲に頼らずにお客さんの感情の起伏を読んでセットリストを組んだっていう。そういった意味で、初心に戻ってやってみたところはありますよね。だって、バンドを始めたばっかりの頃って、定番なんて存在しないでしょう? 定番ってお客さんが作っていってくれるものだから。cali≠gariのお客さんって、うちらが若いときからいっしょに歳を取ってくれた人がすごく多いんですよ。20代もいるけど、30代も40代もいるんですよね。そういう〈cali≠gariが青春でした〉って言ってくれてる人たちに対しては、こういったアニヴァーサリー……まあ、〈活動休止から10周年〉ってどういうアニヴァーサリーよ?って思うけれど(笑)、こういうときに昔のライヴで頻繁にやってた曲が聴けない悲しさを思うと、心苦しいところはあります、ホントに。でも、あえてそこを外してみたんです。ホントはね、“死せる青春”っていう曲もあったんですけど。実は僕、“春の日”といっしょに作ってたんですよね。でもそれを肴に野音を埋めるのも嫌だなと思って、結局出さなかったんです」
――その曲もぜひ聴きたいですが……当日は比較的新しめの曲が多くて。
「そう。新旧取り混ぜるっていうよりも、もう新しいものをメインに持っていってね。いま、古いものを新しいものに作り変えてるっていう作業中だから」