downy 第5作品集『無題』
[ interview ]
downyが活動休止した2004年以来、9年ぶりとなる5枚目のアルバムを発表した。いつも通りタイトルを持たない新作は、以前と変わらぬヒリヒリとした緊張感に満ちたヘヴィーで硬質で複雑なdowny世界ながら、9年前とは異なる新生面も聴かせる傑作に仕上がっている。沖縄に移住し、音楽とは別の仕事をやりながら英気を養っていたというリーダーの青木ロビン(ヴォーカル/ギター)は、downyの再開と共にTHE NOVEMBERSの最新作『zeitgeist』のプロデュースを手掛け、さらに別ユニット・zezecoの曲作りも始めるなど、9年間のブランクを取り戻すかのように精力的に動き出している。
個人的な話だが、実はdownyは筆者がプロデュースした『Fine Time 2 a Tribute to New Wave』(2004年)というコンピレーション・アルバムに参加したことがあり(ディス・ヒート“Paper Hats”をカヴァー)、それがdownyの活動休止前最後の音源だったという縁がある。すでに活動休止が決定していたのに、これだけはぜひやりたいと参加してくれたのだ。
誰も真似できないことをやろう
――ディス・ヒートはどういうところがお好きなんですか。
「あのチャレンジャーなところがいいですね。音作りから何から。影響も受けました。ただdownyをそこまで実験音楽とは括ってないんです。人がやらないことをやりたいという欲求は強くあるんですが、〈実験的〉と言われるものとはちょっと違う気がして。downyはあくでもロック・バンドなんで、そのなかで何ができるか、というのをいつも考えてきましたから。特に今作は〈人がコピーできないこと〉を意識して作りましたね。前作を超えなきゃいけないから。〈9年間のブランクがどうだこうだ言われないものを絶対作ろう〉というエネルギーが強かった。なので単純に〈誰もコピーできないバンドで、誰も真似できないことをやろう。それも人力で〉というのをめざしたんです」
――downyを再開するにあたって、ご自分のなかで決め手となったものってなんでしょう。
「downyというよりは……ともかく音楽を作るのを一回止めたくて止めてしまったもので、また作り手に戻るのが大変でしたね」
――休止前は、自分が作り手の耳で音楽を聴いてしまうのがイヤだったと言ってましたね。
「そうですね。なんか疲れちゃったんですね。好きなアーティストも、楽しむというより〈この音源どうやって作ってるんだろう?〉みたいな聴き方になっちゃって。単純に、中高生の頃みたいな音楽のファンに戻りたかったんですよ。おかげ様で戻れましたけど」
――downyをやってた頃と、止めて沖縄に移住した後では聴く音楽は変わってきましたか。
「変わりましたね、180度まったく。downy止めたことだけが理由でもないですけど。子供もできたんで、子どもと聴く音楽も自然と入ってきますし。子供の頃こういう音楽を聴いてたな、とか、親がビートルズ聴かせてくれたな、とか。それまでカフェで流れてるような音楽を自分から聴くことはなかったんですけど、結果的に自分でも飲食店をやるようになって、人が居心地のいい空間って音楽と共にあるんだなと思って」
――そこでディス・ヒートを流すわけにはいかない(笑)。
「あと、沖縄では海沿いで生活してるんで、やっぱりそこにハマる音楽があって。アメリカに行った時、カリフォルニアに向かうフリーウェイを走ったんですけど、そこで聴くレッチリがすごく良くて。なるほど、ここで出来た音楽なんだなとわかったんですよ。そこの環境、風景に合っている。なのでコーヒー飲みながら聴く音楽はこれがいいな、とか、そういう聴き方ができるようになった。そんな聴き方は以前はまったくしてなかったんで」
――そういう環境に身を置いて、ふたたびdownyみたいな緊張を強いるような音楽への欲求が湧いてきた経緯はなんだったんでしょう。
「初めてスタジオに入ってメンバーと音出した瞬間、もうdownyの音だったんですよ。それまでメンバーそれぞれ違う音楽をやっていたのに。〈これがdownyだ〉っていう明確なヴィジョンがみんなのなかにあって、こういうコード進行でこういうリズムで、これはダメ、これはOKみたいなラインを、僕よりもメンバーが強く持っている。普段の仕事でも言われるでしょうしね。downyみたいに叩いて、とか。でも僕は、普段の生活で僕を〈downyの青木ロビン〉として意識してる人はほとんどいない。メンバーみたいに常日頃downyであることを意識させられることがないんですよ。なのでリハーサルで〈4つ打ちやってみる?〉と言うと〈4つ打ちはdownyじゃない!〉ってメンバーに言われたりする。いわばメンバーが僕をdownyに戻してくれた。みんなのヴィジョンで作ってるバンドなんだなってよくわかりました。僕が〈こういうことをやりたい〉と言うと、〈downyならこういうアプローチにしよう〉という引き出しをちゃんと持っていてくれる。それで“下弦の月”って曲が出来たりして。そういうのがdownyの魅力であり、メンバーのいいところだと思うんです」
――曲作りのやり方も変わったんですか。
「作り方そのものはそんなに変わってないんです。ひとつの核になるループを作ってそれを発展させて、なるたけ音数を減らしてタイトにしていく。最初は、あらかじめデモを作ってメンバーそれぞれに投げてたんですよ。打ち込みメインで作ってたんですけど、それはすでに(downyで)やった音楽だなって話になって。じゃあ、スタジオでもう一回ナマで突き合わせてやってみようということになって、セッションを繰り返して10曲ぐらい作ったんですけど、それもすでに4枚目のアルバムぐらいでやってる、ってことになって。もっともっと自分たちをギャフンと言わせないと。また同じようなの作ってもしゃーない。そういうのがあって、アルバム2枚分ぐらいの曲をボツにして、結局今作が完成するまで2年かかっちゃったんですけど」