インタビュー

INTERVIEW(2)――説得力のあるものを



説得力のあるものを



アナ



――曲作り自体は2012年の前半ぐらいには終わっていたそうですね。

大内「さっきのポップスっていう話はアレンジの話で、大久保からデモをもらう段階では、全然そういうものではない状態なんです。だから、原曲自体はこれまでのインディー・ポップみたいなのを踏襲してる曲もあったりして、結構バラバラだったんですよね」

大久保「いままではバンドで、アレンジまで何となくイメージして曲を作ってたんですけど、今回は単純に作詞と作曲をバーッと仕上げて、その後にプロデューサーの上田(修平)くんと〈この曲はこの楽器を使ってこういうテンポで〉っていうアレンジの作業をやったんです。そういうやり方が昔のポップスっぽいというか、アレンジャーがいて、作詞家、作曲家がいてっていう」

――分業制でしたよね。

大久保「2人になったのもあるし、今回はバンドっていうスタイルよりも、ホントに〈ポップ作家〉みたいなスタンスで作りました」

――そういう意味では、上田さんの存在は前作以上に大きいと言えそうですね。

大内「前回はメンバー3人である程度形にしてから上田くんに聴かせてたんですけど、今回は大久保がデモを送る時点で、俺と上田くんにいっしょに送って、それぞれ聴いて、〈こんなアレンジどう?〉ってやり取りをしたんで、ホントに3人目のメンバーみたいな感じでしたね」

――上田さんとは、アルバムの方向性に関してどんな話をしたんですか?

大久保「もう30歳も超えたし、〈説得力のあるものを作ろう〉っていう話はしたかもしれない。そのためには、しっかりしたプレイヤーに頼るところは頼ろうって。前はやっぱりバンドとしてやってたから、ホントはこうやりたいけど、メンバーがやらないと意味がないっていうのがあったけど、今回はそれができる人を探して、できるだけ歌を活かすっていう。もちろん、2人でできるところまでは2人でやったので、いままで以上に練習はしました。単純に、やり直しがすごく多かったです(笑)」

――苦労したのはどのあたりの曲ですか?

大久保「僕、弾き語りっていうのをほとんどやってなかったんで、“コピーのように”とか“永遠だったかもしれない”とかは苦労しました。あともともとヒップホップが好きで、アナも基本的にはループ・ミュージックだったから、コードが単純になりがちだったんですけど、今回はコード・アレンジもしっかりやって、そのへんは難しかったですね。そういう点に関しては、大瀧さんとか、大貫妙子さんとかを参考にしてたかな。あとは、ボサノヴァとかちょっとブラジル寄りのをやってみたり、いままで使わなかったコードをいっぱい使いました」

――YeYeさんが参加してる“かなしみのこちら側”がボサノヴァ風ですね。

大内「“かなしみのこちら側”はアレンジがいちばん変わったかもしれない」

大久保「最初はフェニックスみたいでした(笑)」

――最初からデュエットで考えてたんですか?

大久保「いや、それもアレンジの途中で、それこそ大貫さんが歌ってるのが浮かんで、〈じゃあ、女性に歌ってもらおう〉ってなって、〈これはYeYeじゃないか?〉って。そこからYeYeありきでアレンジをして、キーも変えて」

大内「デュエットっていうよりは、〈大久保のヴォーカルなしでもいいんじゃないか?〉って話もしてて」

大久保「僕が歌わない曲を入れることによって、アナの存在のあり方があきらかに変わるじゃないですか? それこそ作曲集団みたいな、そうなってもいいぐらいに思ってましたね」

――大内さんはどの曲で苦労しました?

大内「“長いお別れ”のときに上田くんにすげえ怒られた記憶があります(笑)。1か月に一度くらいのペースで京都に行ってレコーディングをしてたので、〈ノリが出てない。1か月練習してこい〉って(笑)。いままでNOMAさんとやってたのを1回壊して、新しいメンバーとやっていくなかで、ライヴだと乗り切れてた部分も、改めて録音するとなると、いままで通りにはいかなくて」

大久保「付け焼刃で身に付くものじゃないですけど、ソウルのノリを少しでも出すために、70年代のソウルの音源いっぱい送ったりしたもんね。僕もホント一日中『What’s Going On』(マーヴィン・ゲイの71年作)ばっかり聴いたりとかして」

大内「だから、いままで知らなかったことをやってるわけじゃなくて、アナをやってるうちに何となく離れていってた部分、中高生のときにギターを弾いてた自分を呼び覚ます感じだったんですよね」


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掲載: 2014年01月29日 17:59

更新: 2014年01月29日 17:59

インタヴュー・文/金子厚武