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第54回――カリンバの響き

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2011/07/21   18:34
更新
2011/07/22   10:46
ソース
bounce 334号 (2011年7月25日発行)
テキスト
文/林 剛


革新的なクロスオーヴァー・サウンドで世界中を席巻し、今年でデビューから40周年を迎えたアース・ウィンド&ファイア。今回は彼らの黄金期を支えたカリンバ・プロダクション制作の宝石たちを通して、その眩しい輝きを再確認してみましょう!



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アース・ウィンド&ファイア(EW&F)が今年でデビュー40周年を迎えた(70年を起点にして、2010年を40周年とすることもある)。そんな彼らの最盛期といえば、ダンサブルで軽快なリズムと華やかで整ったホーン・セクションの魅力が発揮された、70年代中〜後期ということになるだろう。

現在では、ワーナー時代の2作を含む初期のジャズ・ファンク的なサウンドも評価されているが、いま思えば70年代前半のEW&Fは、創造性こそ豊かながらも方向性が定まっていなかった。それが、いわゆる〈EW&Fらしさ〉を備えてくるのは、リーダーのモーリス・ホワイトがプロデューサーとしてクレジットされるようになった『Open Our Eyes』(74年)からだ。ここではモーリスの弾くカリンバ(親指ピアノ)を主役にした楽曲も披露され、続く『That's The Way Of The World』(75年)と共にアフリカ〜宇宙志向を強めながら、ファンク・バンドとして独自のサウンドを築いていく。モーリスがラムゼイ・ルイス“Sun Goddess”を手掛けたのも彼らのサウンドに独自性が備わってきた証拠だろう。



Emotions_A



だが、現在多くの人がイメージするような〈ポップでダンサブルなEW&Fサウンド〉が確立されたのは、76年の『Spirit』からだ。そして、同作のジャケットに刻まれていたのが、〈カリンバ・プロダクションズ〉という名前とロゴ。ある種の商標登録とも言えるロゴの刻印は、彼ら自身バンドのサウンドやコンセプトが定まったと考えていたからに違いない。こうして進むべき道を定めたリーダーのモーリスは、盟友チャールズ・ステップニーとの共同作業を通じてファミリー的な意識を高め、エモーションズ、デニース・ウィリアムズ、ポケッツ、DJロジャースらを同プロダクションに招き入れ、モーリス・ホワイト帝国とでも言うべき世界を築いていく。DJロジャースを除けば、モーリス&ヴァーディンのホワイト兄弟をはじめとするEW&Fのメンバーが制作/演奏に関与。そこから生まれたサウンドや楽曲のクォリティーは、ステップニーの遺作となった『Spirit』や、その後任となったトム・トム84の管弦アレンジが冴え渡る『All 'N All』(77年)といった同時期のEW&F作品と肩を並べるものだった。アル・マッケイの軽快なリズム・ギターやラルフ・ジョンソンのパーカッション、フェニックス・ホーンズの華やかなホーンは、それが鳴るだけで聴き手の気分を昂揚させ、EW&Fサウンドのあてがわれた楽曲は即ヒットとなるほど、時代を象徴する音となる。とりわけエモーションズはEW&Fの妹分的な存在としてその恩恵を存分に受け、“Best Of My Love”という天下無敵のダンス・ナンバーを放ったことでもお馴染みだろう。

こうしてカリンバ・プロの作品がヒット・チャートを賑わすようになると、それに気をよくしたのか、モーリスは音楽ビジネスにも手を伸ばしはじめる。そして78年、CBS/コロムビア傘下に設立されたのがアメリカン・レコーディング・カンパニー(通称ARC)だ。ARCには、EW&Fを含む前記カリンバ・プロ所属組(の大半)のほか、ロバートとマイケルのブルッキンス兄弟から成るアフターバック、アル・マッケイにプロデュースを仰いだレン・ウッズ、さらにウェザー・リポート、ヴァレリー・カーターらが加入し、これまたEW&F直系のサウンドを採り入れた作品で人気を博していく。もっとも、この頃のEW&Fは、デヴィッド・フォスターの関与した『I Am』(79年)を聴いてもわかるように、ディスコやAORも意識してポップ・フィールドへの接近を図っており、ARCのレーベル・カラーにもそうした本隊の志向がそのまま反映された。デビュー作からEW&Fと組んでいたヴァレリー・カーター(78年の2作目『Wild Child』がARC発)などは、そんな当時のクロスオーヴァー志向ともっとも合致したアーティストと言えるだろう。彼女はEW&Fの80年作『Faces』にソングライターとしても参加していたが、AOR〜ロックなどヴァラエティーに富んだその『Faces』は、ARCを象徴する作品だったと言えるかもしれない。



DenieceWilliams_A

ただARCからは、カリンバ・プロ設立当初ほどには大ヒットと呼べるような作品が出なかった。そして、『Raise!』(81年)以降のEW&Fが、時代の流れに歩調を合わせてエレクトロニックなサウンドを取り入れるなどして〈EW&Fらしさ〉を失いはじめると、一心同体だったARCも失速し、82年にはその幕を下ろしてしまう。翌83年にEW&Fが発表した『Powerlight』を聴いても、曲そのものは悪くないがアイデア不足は歴然。それは、カリンバ・プロ設立以降のEW&Fサウンドのカギを握っていたアル・マッケイのバンド脱退(80年)も影響したのだろう。フェニックス・ホーンズと訣別してトレードマークのサウンドを捨てた『Electric Universe』(83年)を聴くと、前年にARCが閉鎖に至ったのも、むべなるかなといった気がする。それでも同じ83年には、カリンバ・プロのロゴが刻まれたジェニファー・ホリデイの『Feel My Soul』という秀作がモーリスのプロデュースによって生まれており、EW&Fサウンドがいかに突出したものであったかを示してくれたりもした。

確かにそのマジックは80年代に入って失われてしまった。しかし、後に数々の模倣が生まれてもEW&Fを凌駕できないほど、カリンバ・プロ〜ARC時代のEW&Fサウンドは神がかっていた。そう、この時期の彼らが凄すぎたのだ。その圧倒的なクォリティーには、ただもう平伏すしかない。



▼文中に登場するアース・ウィンド&ファイアの作品。
左から、76年作『Spirit』、77年作『All 'N All』(共にColumbia)、79年作『I Am』、80年作『Faces』、81年作『Raise!』(すべてARC/Columbia)

 

 

▼モーリス・ホワイトが関与した重要盤。
左から、ラムゼイ・ルイスの74年作『Sun Goddess』(Columbia)、ヴァレリー・カーターの77年作『Just A Stone's Throw Away』(Columbia)、ウェザー・リポートの78年作『Mr. Gone』(ARC/Columbia)