Rei Harakami(3)
周りの状況とかカテゴリーとかどうでもいいやって
――セカンドの『opa*q』(99年作)では何か意識の変化はありましたか?
ハラカミ ファーストが、とにかく(世間の反響的に)箸にも棒にもかからないのがわかって。あとファーストのジャケットにはほとんど口を出せなかったんですけど、セカンドからはアートワークも含めて自分でディレクションして。それでも大して反響はなかったですね。当時はまだ匿名のBGM仕事もやってたし、自分の音楽だけで食べていくなんてリアリティーはまったくなかった。
――それでサードの『red curb』(2001年作)で、一気に注目を集める。
ハラカミ でも作ってるときには何も変わってなくて。「お金なくてどうしよう」みたいな(笑)。
――このアルバムでハラカミさんの現在のイメージが確立した感があります。前作から2年の間に、何か変化があったんでしょうか。
ハラカミ いや、もう周りの状況とかカテゴリーとかどうでもいいやって。「踊らせなきゃ」とか、もう考えるのも面倒くさくなって。
――外からの影響とか一切考慮しないで、自分の感覚だけで作った。
ハラカミ そう。それこそ「売れなくていいや」と。オレが世界を変えてやるとか、そんな野心が持てるような年齢でもなかったし。
―― 一発金儲けしてやろうとか、有名になってやろうとかは?
ハラカミ ないですねえ。(デビューしたときには)もう27歳でしたからね。リアル・ロッカーなら死んでる歳ですし(笑)。
――『red curb』までのプロセスは、だんだん無駄なものが削ぎ落とされていって、本当にご自分のやりたい核だけを残していく課程のような気がします。
ハラカミ そうですね。2枚目まではある種のヴァリエーションでやっていたような気がしますね。それが『red curb』で、無駄なモノが取れて、角が取れた感じはあるかも。
――ダンス・ミュージックへの未練だったり。
ハラカミ そうかもしれないですね。
――そういうコアだけになって、自分の本当にやりたいことだけをやったアルバムが、それまでで一番反響が大きかったというのは、意を強くしたんじゃないですか?
ハラカミ はい。嬉しかったですよ。いままでやってきたことは間違いなかったんだって。
――そこからリミックス仕事など、どーんと増えましたね。一種のブームみたいになって。そういう風に状況が激変していったことについては、どう思ってましたか?
ハラカミ 「危ないな」って思ってましたね。来た仕事を全部やればお金持ちになれるかもって思いましたけど、現実にはとても全部はできない。頑張って断って。
――それまで完全に自分の世界でしか音楽を作ってなくて、リミックスという形で急激に外部と関わることになりましたね。
ハラカミ それまで僕のことなんて知ることもなかった人たちにアピールするチャンスですからね。ひとつひとつデビュー曲のような気持ちで作ってました。だから基本的に派手めなものが、特に最初は多いと思います。
――その強調した〈自分らしさ〉は、やはり音色になるわけですか。
ハラカミ そうですね。
――知名度が上がって、くるりとかナンバーガールとか、全然違う世界の人たちから仕事がくるようになりましたね。
ハラカミ でもくるりは普通に聴いてたんですよ。日本語のロックなんてずっと興味なかったんだけど、久々に聴いてみたいと思ったのがくるりだった。「これはいい曲だな」って思ったのはユニコーンの“すばらしい日々”(93年作)が最後で、それ以降は全然ピンとくるものがなくて、テクノとかヒップホップとか、ああいう指向になったんで。で、くるりは〈日本語で歌詞がいい〉と思える久々の人たちだった。
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