インタビュー

DJ TASAKA(2)

音を鳴らす側が、出口も入り口も作らないほうがいい

―― 一昨年の秋にベルリンに行かれて、ダブファイアをそこら中で聴いた、というエピソードが今作の資料にあるのですが、その空気感は今作の中盤に通じるものがありますね。

「そう。ちょうどプラスティック・マン“Spastik”のダブファイア・リミックスとかが出ていた時期ですね」

――ベルリンとDJ TASAKAさんについての話を伺いたいのですが。ベルリンには以前から結構DJをしに行かれてますよね?

「そうですね。最初にDJでツアーしたのが98年ですね」

――僕が2001年の秋頃にベルリンに行った際、カジノのような当時のエレクトロ界隈のクラブでDJ TASAKAさんのスタイルがウケているのかな?という印象を覚えたんですよね。石野卓球さんにも言えるかと思うのですが、あの街の空気感でDJをされると、日本でやられている時のエンターテイナー的な部分より、コアな部分が剥き出しになると思うんです。そういう意味で、ベルリンに行かれた影響というのが今作に地続きで繋がる部分があるのかな、と。

「まさしく、その通りですね。たとえば(ドイツで)4本くらいのDJツアーを組まれた時に、1本目で〈なんか俺、手数が多すぎたな〉とか〈展開も多すぎたな〉とか思って。〈遊んでいる人はもっと長尺でどっしりと構えて遊んでいるのに、なんだかDJだけセカセカしてたっぽいな〉っていう反省が毎回あったんです。直近の、一昨年に行った時にもそれを感じて。世界的な音の傾向が変わってきているっていうのも、すごくデカくありましたね」

――最近のベルリンは、どういうトレンドになってきているんですか?

「(筆者がベルリンを訪れた)2001年頃だったら、ウッディーとキソグラムの曲(“If I Had Known This Before”)とか、インターナショナル・ディージェイ・ジゴロが流行っていた頃ですよね。なぜかマイケル・ジャクソン“Billie Jean”のベースラインがいろんなところで聴けたっていう(笑)。あの辺とちょっとリンクしていた80'sのエレクトロ・ディスコって、日本ではリヴァイヴァルみたいに捉えられていましたけど、ベルリンにはずーっとあったものなんですよね。そこにみんなちょっと飽きたっていう。そういう意味では、モノトーンさが剥き出しな、よりベルリンらしい部分が顕著になってきてますね。音の鳴り方にしても、やっぱりテクノ・キャピタルではありますよね」

――その辺りが、最近のミニマル・ハウスの質感にも通じるところがあるんですかね?

「そこが、東京ではなかなか、遊び方として根付かない部分で。(ベルリンは)長いこと遊ぶっていうか、大体2時~3時にプラッと行って、(イヴェントも)気が向けば昼までやってるみたいな世界じゃないですか。そうすると、全体的に〈何度もピークがこなくてもいい〉みたいなノリになってくる。その感じがすごくありましたね」

――アフター・アワーズが夕方まで続いているっていう世界ですね……。そうなってくると、深く入ってくる音が合う?

「うん。音を鳴らす側が、出口も入り口も作らないほうがいいというか。その辺がやっぱり、今作と前回のアルバムとの違う部分ですよね。あとは、個人の趣向として、音楽を意識的に聴くようになった時期に選んでいたレコードがまた使えるようになった。初期のアシッド・ハウスだったり、トッド・テリーだったり、もっと前のレア・グルーヴあたり……その辺にロコ・ダイスあたりと同じような匂いを嗅ぎとれて。そこが、自分のなかでバシっと一本筋が見えたところではありますね」

▼文中に登場した作品を紹介

カテゴリ : .com FLASH!

掲載: 2009年07月22日 18:00

更新: 2009年07月22日 18:01

文/リョウ 原田