LONG REVIEW――ハンバートハンバート 『さすらい記』
秋から冬へ――移ろいゆく日本の四季を描き出す言葉は、まるで民話の挿絵のように簡潔だ。登場する人物は、いわゆる普通の人。決して行儀が良いとは言えないけれど、泰然自若の風情で、ただそこにいる。
深みのあるアコースティック・ギターの音色と琴を想起させるマンドリンの旋律、佐野遊穂の素直なヴォーカルがゆったりと歩みを進め、そこに重厚なベースと倍音を震わせるコーラスがぴったりと寄り添う。学童唱歌のごときシンプルな美しさと読経にも似た荘厳さを併せ持つこの歌には、煩悩の数を表す“百八つ”というタイトルがついている。私はこの曲を聴くたびに、まるで讃美歌のようだな、と思う。
待ち人も来ないし、冷たいお弁当も一人で食べる。運にも見放されるし、バカなこともしてしまう。でも、人間なんてしょせんその程度のもの。起きて/起こしてしまったことを少し後悔しながらも、ありのままに受け入れる――ハンバートハンバートの音楽にはそんな赦しのような響きがあって、喜びも、哀しみも、変わりばえのない日常も、それらを飾りなく吐露する(それだけに冷や水を浴びたような気分にもなる)言葉も、記憶の底で眠っていた思い出を優しく揺り起こされたような感触を持って、聴き手に届く。
サウンドの背景に見い出せるのは、アイリッシュやケルト音楽、フォーク、カントリー、日本の童謡などのトラッド~ルーツ・ミュージック。それらがそれぞれ持つ大陸的なドライさと日本情緒を滲ませたウェットさが交じり合って、独自のアコースティックなポップスを作り上げている。とりわけ、歌そのものに土臭い人間性が出ている、という点が本当にいい。そういう意味においては、日本の伝承音楽である、とも言えるだろう。
人生をさすらう人々の姿が投影された――などと表現してしまうと大げさだが、ただ間違いなく言えるのは、この『さすらい記』のなかにある13曲はすべて、ひとつ残らず〈私(僕)たちの歌〉であるということ。私は音楽を作る人ではないけれど、生みの苦しみにもがく音楽家のとある一日を切り取った“虎”には、なぜだかいたく泣かされた。
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