踊ってばかりの国 『悪魔の子供/ばあちゃん』
[ interview ]
踊ってばかりの国がどんどん進化している。いま、彼らほどヘラヘラしたアシッド感覚を、至極音楽的な掘り下げのもとにポップ・フォーマット化しているバンドも他にいないと言って良いだろう。今年前半にリリースされたミニ・アルバム『グッバイ、ガールフレンド』は、彼ら流の無責任ポップイズムが全開した傑作だったが、神戸から東京に拠点を移し、メンバーを固定させて多くの夏フェスやいくつものライヴ活動を経験した後に届けられたニュー・シングル『悪魔の子供/ばあちゃん』は、その先にも結局のところ大いなる享楽と諦念とほんの少しの希望しかないことを伝えるキラー・チューンだ。サウンドはカントリー風味。だが、そこに奇妙な死臭を感じ取った時、きっと踊ってばかりの国というバンドの本質が見えてくるのではないかと思う。生と死の連鎖のなかに生きる男、下津光史(ヴォーカル/ベース)に訊く無責任ポップイズムの必然とは?
常に開いている
――“悪魔の子供”はこれまでの踊ってばかりの国にはなかったタイプの、ポップなカントリータッチのナンバーだけど、このタイミングでこういう曲を発表することにはバンドとしてどういう意味があると思ってます?
「うーん、まあ俺のバック・グラウンドにカントリーがあるのは前からのことだし、すごく自然で。他のメンバーが〈これ、なんか新しいな〉って騒いでいるだけ(笑)。こっちは〈こんなん、前からあるし〉って感じ」
――好きで聴いてきたカントリーってどのあたり?
「ジェリー・ダグラスとか。親父の影響で小さい頃から聴いてたんです。同じ感覚でサーフ・ロックとかも聴いていて、あまり分け隔てなかったですね、ジャンルの」
――カントリーって、一般的にはまだまだ〈田舎〉とか〈長閑〉といったイメージで語られている音楽だけど、実際は、アメリカの地方の風景に潜むドロっとした〈死臭〉を感じさせる音楽でもあるでしょう? そういうところに自然と反応したのかなあって想像していたんだけど。
「ああ、わかります。俺、向こうの音楽の歌詞はまったくわからないし、気にしたこともないし。ただ俺自身、死にかけたりするんで、それでなんとなくそういうところを感じ取っているのかもしれないですね(笑)」
――死にかけてるって……いまでも?
「はい、時々(笑)。〈どうやって息したらええんやろ?〉っていうような感覚にはなりますね。ここ最近は健康でいい感じですけど(笑)、ほんまに呼吸の仕方が冷静にわからなくなってしまうんですよ。精神的にではなく、肉体的にですね。その5分間、意識ない、みたいな」
――なるほど。そういう瞬間の体験が曲作りに反映されるの?
「いや、少なくとも曲、メロディーを作る時にはムチャ開いてないとダメです」
――感覚を開かせておく?
「そう。まあ風呂入った時みたいな感じですね(笑)。その日が晴れてて気持ち良い感じだったら書けてしまうって感じです。天気が良いとユルい曲、白昼夢みたいな。逆に、雨とかやったらイラッとしてテンポの速い曲になる。だから、“悪魔の子供”は天気が悪い時に書いたわけです」
――(笑)。
「まあ、基本、何も考えんと身を任せて作ってます。たぶんね、俺、常に開いている感じなんだと思うんです。人見知りもあんまりしないし、誰と喋っとっても態度変わらないでしょ? つまり、何に対してもブレてないんですよね……ってダッサ(笑)! めっちゃダサイですよね、これ(笑)。たぶん、メンバー5人のなかでいちばん基本的にネクラなんですよ、本当は。無理矢理外向けの性格になるよう練習して、変えたんです」
――つまり、昔はもっと閉じた人間だったと。
「そうです。〈これヤバイわ、このままやったら人と喋れへんなるわ〉って思って。それで性格を変えたんです。そしたら聴く音楽とかやりたいことも変わって。思えば、そこが踊ってばかりの国の最初だったかも」