インタビュー

INTERVIEW(4)――手は取り合わない

 

手は取り合わない

 

――では、そうやって卑下して自分を表現することで、どういう効果を期待してる? 同じような人間に向けている?

「まあ実際、俺なんて汚いですし、ダメ人間ですから、それは事実として表現しているってことなんですけど、だからって同じような人たちに向けているわけでもないし……なんなんだろうって思いますね。そもそも僕らの音楽を高校生とかが聴いてどう思ってるのかな?って気にはなりますよね。みんなアガってんのかなあ?って。踊ってばかりの国のどこを気に入ってくれてるのかわからへん。だって、EXILEとかとはまったく違うでしょ(笑)?  どこがええの、俺たちの?っていう感じ。そこが知りたい、逆に。人の感覚って自分といっしょなんかな?ってずっと昔から考えてきたけど、そういうことを考えてても答えでないでしょ? そういうことを考えながらいまも街を歩いたりしてるんですけど、結局何もわからないんですよね。でも、そこで自分は落ち込み切らないんです。適当なところで諦めてしまうんでしょうね。たぶん、俺たちの世代には共通してある感覚なんじゃないかなって感じもします。切羽詰まってるけど、どこか冷めてるというか、物事の最終地点にいつもいるし」

――世代特有の諦念が快楽に結びついて、自分自身を貶めて表現していると。

「そうそうそう。あと、ちょっと前の世代で〈鬱ロック〉って言われていたようなバンドっていたでしょ? ああいう音楽に対する反動というのはありますね。ああいうのモダンって言われてるでしょ?」

――モダンというか、90年代のオルタナ以降の特有の演奏だよね。

「そうです。そういうのが俺、ダメで。それでヘラヘラした感じになってるのかも、俺」

――同じように〈死〉をテーマにしているのに。

「ああいうオルタナ系バンドってモノクロでしょ。でも、俺らはカラフルなんですよ、表現が。俺自身、思春期特有の不安定さもなくなってきたから、余計にそういうダークなものを否定したいって気持ちも出てきたのかもしれないです。体毛薄いんですけど、ようやく大人になってきたし、ホルモンのバランスも変わってきたし(笑)……俺、歳と共にホトケ化してきてるんですよ(笑)。みんなと仲良くしたいし、みんなを好きでいたいし。そういう感覚で〈死〉と向き合うと、どうしてもこういうヘラヘラしたものになってしまうというか。もうええやんか、これで、みたいな」

――究極の無責任イズム。

「そうです。アンディ・ウォーホルがバナナを描いた時、あれって何の意味もなかったと思うんですよね。せいぜい男性器くらい。それと同じくらいの気持ちでいたいと思ってますね。だって、音楽が救ってくれるとか何とかしてくれるなんて、どうかしてますよ、そんな考え(笑)。 あり得ないでしょ? でも、誰とは言わんけど、ファンとバンドが互いに救い求め合って、しまいには手首切ったりして、そんな依存しあってどないすんねん?って。俺らはそんなん絶対イヤですね。聴いてくれてる人がどう思っているかは知りたいですけど、こっちに救いを求めてほしくないし、俺らもそんなんしない。手を取り合わない。あくまで並行している感じ」

――そこは、音楽のあり方として新しく再度提案したいという意識もある?

「多少はあります。もう音楽なんてサブカルチャーでしかないでしょ? もう2011年やしね、50年前の価値観でやってもダメっしょ? ただ、音楽的にはどうしても50年前の財産を掘り起こして再解釈する感覚っていうのはある。どうしたってそこは抗えない。でも、俺はそこを自覚しながらやっていくだけでも全然違うと思ってるんですよね」

▼踊ってばかりの国の作品

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掲載: 2010年11月17日 18:01

インタヴュー・文/岡村詩野