INTERVIEW(3)――もっと衝動的でありたい
もっと衝動的でありたい
――何度も死にかけたけど、ここまで生き延びてきたという実感がそういう歌詞を書かせてるのかもしれない。
「まあ、ラッキーやな、というのはありますよね。ただ、何かに自分が〈生かされてる〉とかって、そういうのは嫌いなんで考えたことはないです。神様とかそんなん、いないでしょ? 神がおったらねえ、もっとええでしょ、泣いてるヤツいないでしょ、そもそも音楽なんていらないでしょ?」
――そうだね。
「そういうところに委ねるのは好きじゃないです。ドラッグ・ミュージックがこのまま進んでいくと音楽も宗教になっていくと思うし、実際、もうそうなってきてるし。でも、もうそうなるとそれは衝動ではないですよね。俺もそうなったら音楽に興味がなくなると思う。ましてや歌詞なんていらなくなる。俺はもっと衝動的でありたいんですよ、音楽に対しては。で、そのうえで自分が生きていて不自由に思うことはちゃんと歌っていきたい。それはやっぱり言葉があってこそでしょ? だっていまって、ちゃんとそういうことを歌詞にして歌ってる人たちっていないし――ああ、そうですね。もしかして、踊ってばかりの国の目標ってそこかもしれないですね」
――つまり、ドラッギーな感覚をサウンド面における心地良さや雰囲気だけに頼ることはしたくない。言葉の意味、内容はとても大事であると。
「そうですそうです。ただ歌詞を書く時って、まあ先にメロディーが出来てから書くんですけど、歌いたいことは決まっていても言葉は全然決まってないんです。何度も合わせて自分で歌いながら、しっかり完成させていきます。例えば、この“悪魔の子供”やったら、嫌いな人に子供が出来たことを歌ってるんですけど、その子供にはそいつみたいになってほしくないなあって気持ちが込められてるんです。その気持ちを柱にして最終的に微調整していくんですよね。で、弾き語りができるようになったら、それをバンドに持って行ってみんなで合わせるという。ただどんな曲であっても、自分としてはすごく自然体な状態を素直に表現はしていますね。そこは基本絶対にブレていないと思います」
――なるほど。ただ下津くんの歌詞の特徴は、主人公がすごく自虐的で卑下されて表現されているんだよね。“悪魔の子供”でも〈僕は汚い〉〈僕は悪魔にもなれない〉と歌っている。カップリング曲の“ばあちゃん”でも〈馬鹿なんだから〉というクダリがある。ここにはどういう意図があると自分で思っています?
「うん、確かに自分を蔑んどる。なんでなんでしょうね?」
――ダメ人間でも、どうせ俺はひとりぼっちさ、みたいなアウトロー気取りもない。
「ああ、そういうのダメなんですよ。ダサいでしょ?」
――まあね。
「たぶんね、ヒッピー的思想なんじゃないですかねえ。同じジャンキー的感覚でもパンクスを10代で辞めたから、そういうアウトローっぽいのがなくなった。そう、ヒッピーなんですよ、俺の思想が。ただそれはあくまで歌詞とか思想であって、好きな曲そのものはヒッピーの時代のロックみたいにぼやんとしたものではなく、ドレミがハッキリしたものがいいと。リバティーンズとかストロークスみたいな。音楽的にはそういうのが混ざり合ってるんだと思いますね」
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