INTERVIEW(2)――無意識に生と死をテーマにしてる
無意識に生と死をテーマにしてる
――それまでも曲を作っていた?
「はい。でも、いまと全然違う。〈みんな死んでまえ~!〉みたいな。俺、めっちゃパンクスやったんですよ、それまでって。サークル・ジャークスとか好きで」
――ああ、外への攻撃という形に出ていたんだ。いまの下津くんの作る曲は誰も攻撃しないし、誰も批判しない。尻尾は黒いけど基本ハッピーなヴァイブに包まれているのにね。
「そうなんですよ! 歳と共にバリ、ユルくなってしもうて。いまはこんなにヘラヘラしてるという(笑)」
――そこまで大きく転換できたターニング・ポイントって何か思い浮かぶ?
「コレといったものはないんですよ。ちょっとずつですね。人を攻撃するのがしんどなってきたというのもありました。何かを〈伝えよう〉とするとダサくなったりするじゃないですか? そういう気持ちがなくなったとかね。まあ、あとは自分自身が死にかけたり、友達が死んだり……」
――やっぱり〈死〉がひとつのきっかけにはなっているんだ。
「ああ、うん、そうですね。だから、ビビリはビビリなんで、死は怖いんですけど、意固地なんですぐ諦めるんです。ま、えっか、みたいな。でもやっぱり怖い。だから自殺とか嫌いで。未遂の経験とかもないし」
――そういう意識を前向きに転換した時に、いまの踊ってばかりの国のような曲や歌詞になった、と?
「そうです。だから、ドラッギーはドラッギーな音楽ですけど、聴いてくれる人にはシラフでもトンでほしいんです。α波を出してほしいというか(笑)。確かによく言われるんですよね、〈歌詞のテーマは生と死だよね〉とかって。ディレクターにも言われました。でも俺としては無意識なんですよね。勝手に出てきてるというか。ただ俺、生まれる時すごい難産で。俺はバリ、デカくて、おかんはバリ、細くて、穴から出られへんかって(笑)。3日間自然分娩でがんばったけどアカンかって、それで帝王切開でようやく出てきたという。体重は4500グラム。オカンは43キロやったのに」
――それは大きい! いまの下津くんは細いのに。
「で、4歳の時に髄膜炎になって植物人間になりかかりました(笑)。なんかよくわからないですけど、そういうところから来てるんじゃないかなって気もしますね。自分が無意識で生と死をテーマにしてるのが」
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