インタビュー

砂原良徳 『liminal』

 

砂原良徳_特集カバー

 

[ INTERVIEW ]

2001年の『LOVEBEAT』以来10年ぶりに、砂原良徳のオリジナル・フル・アルバム『liminal』がリリースされる。昨年発表のシングル“subliminal”に続いて遂にドロップされた音は、砂原らしい不変の電子音楽美学と、新しい時代の流れや風を受けながら、新たな音楽のカタチを打ち立てようとするアクティヴな姿勢が際立っている。床の間に置いて飾るようなものではなく、いまを生きる作品となっているのだ。それが何よりも嬉しい。話を訊いたのは東日本大震災の前だが、いまとなってはその発言のいくつかは大きな刺激と示唆に満ちている。絶対的な普遍性から、新しい秩序と価値観を持った新しい普遍性へ。まりん、いよいよ帰還である。

 

 

音そのものにフォーカス

 

──『subliminal』のときに、もう今作の構想はできてたんですよね。

「なーんとなくできてて、『subliminal』の延長的なもので。あれは一部分だったので、もうちょっと全体を見せようと思ってたんですけど、やってるうち、なんかもう、ちょっと違ってきたなと思うようになって。あんまりおもしろくないなと。例えば“subliminal”って曲があって、アルバムにもアレンジして入れようと思ってたんですけど、いくらアレンジしても入れようって気にならなくて、最終的には入れなかった。アルバムに入ってる“Capacity”って曲は『subliminal』にも入ってますが、曲自体は全然別の曲として作ったんですよね。でもテーマ的に似てるんで、曲タイトルだけが同じになった。テンポ感とかは近いですけど」

──ふむ。シングル“subliminal”で、今回が『liminal』、つまり〈無意識下〉と〈意識下〉ですが、それがテーマと考えていいんでしょうか。

「はい、そういうところは近いですね。ただ、やることをすごい絞って、テーマも絞って、〈これはこれです〉って口ですべて説明できるかっていうと、今回はちょっと違う。理由付けがなくてもやりたいことをやろう、というほうに考え方が変わってきたんです。なんでもやってることを口で100%説明できるのってどうなのかなという気がして。だからタイトルがマニフェスト的なかっちりしたものかっていうと、そういうわけでもないのかな、と」

──今まで自分の作品に関してはいつも明確な理由付けがありましたよね。

「ええ、ええ」

──今回はちょっと違う。

「ここはどうしてこうなったかって訊かれても、ちょっとわかんないってところも非常にあって(笑)。あとは曲のタイトルとかヴィジュアル・イメージみたいなものが、曲作ってると大体いっしょに浮かんできてたんですけど、そういうのがないことが結構ありましたね」

──なぜ?

「うーん、そこが答えられないんですよね。今回は音以外の情報を、より排除したがってるところもあったのかも。音楽って、ほかのものと合体することが多いじゃないですか。曲にはタイトルがついていて、それがたとえば〈春〉とか〈夏〉だと、もうそういうイメージになる。それにジャケットとか歌詞もついてきて。じゃなくて、音そのものにフォーカスする指向になってきた。どうしてその曲が必要なのかって理由付けみたいなものが、以前はあったと思うけど今回はあまりない」

──より自分の生理に基づいて作ったという。

「それに近いですね。いままでもそういうところはあったと思うんですけどね、今回は説明しようと思ってもできないやって。いまの世の中の状況とか自分の生活してる環境とか、そういうものを自分で感じて、ただ自分のフィルターを通してアウトプットしてる、というような曲も結構あるんですよ」

 

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掲載: 2011年04月13日 18:01

更新: 2011年04月13日 18:03

インタヴュー・文/小野島大