TAK-Z 『Lifetime memory』
[ interview ]
レゲエ激戦区と言われる関西エリアを拠点に、現場叩き上げのシンガーとして名を売ってきたTAK-Z。これまでコンピなどに収録された楽曲が注目を浴び、大阪で毎年2万5千人を集める野外レゲエ・フェス〈Highest MOUNTAIN 2010〉にも出演を果たした。その物腰柔かなイメージだけで彼を判断してはいけない。「納得いくまでやれるのが強み」と、楽曲制作からライヴの段取りまでマネージャーをつけずに自身でコントロールするストイックな男だ。ファースト・アルバムとなる『Lifetime memory』では、客演アーティストもトラックメイカーも等身大のリンクを活かしたメンバーで固めている。彼のキャリアを振り返りながら、今作への想いを語ってもらった。
自分の歌でメッセージを届ける
――レゲエをやろうと動き出したのは、いつ頃なんですか?
「高校3年ですね。それまではギドラ(キングギドラ)とかニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)やったりのヒップホップを聴いてて、ちょいちょいDJしたりしてたんですよ。で、友達からレゲエのサウンドやろうって誘われたんですけど、最初はサウンドが何かもわからなくて(笑)。レゲエのサウンドってマイクで喋るDJとターンテーブルを操るセレクターがおって、いっしょに曲をプレイしていくんですね。自分はセレクターやったんでレゲエのレコード屋さんへ行くようになるんですけど、メンバーに隠れてアメ村のレコード店でウェッサイのレコードをチェックしたり(笑)。でもレゲエのレコードを買って聴いてくうちに、ほんま知らんうちにハメられたというか……ベースの図太い音にしろメッセージにしろ、いままで聴いてきた音楽とは違う魅力があったんだと思います」
――どんな曲を聴いていたんですか?
「はじめはヒップホップのトラックに乗ってるレゲエを聴いてたんです。ミッシー・エリオットの曲のトラックに乗ってるエレファント・マンとかショーン・ポールとか。何を言ってるのか言葉はわからなかったけど、その歌い回しとかビートの刻み方にクラったんだと思います。最初のうちはイケイケのダンスホールが好きやったんですけど、だんだんと80年代とか70年代のレコードを買い漁るようになってましたね」
――なぜその時代のレゲエを?
「憧れてたMIGHTY JAM ROCKとかROCK DESIREとかRED SPIDERが80年代のダンスホールをかけてて、その現場に行ってからですね。みんなが持ってる最新の曲よりも自分しか持ってないようなオリジナルな曲を探したり、けっこうマニアックなところを狙ってたと思います。昔から限定とかデッドストックとか好きなタイプやったのもあるんでしょうけど(笑)。そんなことしているうちに、レコード代に月何十万も費やすようになってましたね」
――レコードをまわすセレクターがキャリアの始まりで、そっからシンガーへ転向していくと?
「そうですね。野外レゲエ・フェスの『Highest MOUNTAIN』やったり『DANCEHALL ROCK』って大きなイヴェントへ遊びに行って、そこで歌ってるアーティストを観てカッコええなと思って。サウンドマンは他人の曲をかけてお客さんにメッセージを伝える役割やけど、自分の歌でメッセージを届けるアーティストの姿に魅せられたんですよね」
――レゲエの歌い手のなかには、シンガーのほかにDJやシングジェイ(DJとシンガーの中間)という選択肢もあるじゃないですか。そのなかからシンガーの道を選んだのは?
「言葉を刻むよりも流れるようなメロディーのほうが自然と出てくるし、漠然と自分はシンガーなんかなと思って。あと、いまもそうですけど日本のレゲエシーンにはシンガーが数えるくらいしかいないんですよ。だから狙い目やったってのも正直ありますね」