インタビュー

INTERVIEW(3)――日本語以外の選択肢を感じなかった

 

日本語以外の選択肢を感じなかった

 

BRAHMAN_A3

――“賽の河原”を書く時に、供養みたいな気持ちはありましたか。

「供養? それは、〈賽の河原〉という言葉に引っ掛かってる感じですか? あれ、供養なんですかね。あれは自分のための業じゃないですか。子供が親より先に死んだ罰だから、供養じゃないんですよ。それを手伝うために、子供を亡くした親がああやって石を積んでいるのは、あれは手伝ってあげてるんですよね。だから供養というよりは分けてもらう業じゃないですか。どっちも罰というには重すぎる仕打ちなんだろうなっていう。だから供養とは思ってないですね。これも本当のことだなと思っているし」

――“賽の河原”って、改めて意味を調べましたけど、ちょっと、やりきれない話ですよね。

「子供が親より先に死ぬことは、順番を守ってないから、賽の河原で鬼にいじめられるんですよね……」

――自分のせいじゃないのに。

「いや、でも、そこなんだと思うんですよね。人生はすべて、自分のせいじゃないし、自分のせいでもあると俺は思ってるから。生まれてすぐ死んでしまう子も天命だと思っているし、みんな寿命まで生きると思ったら大間違いな話であって。じゃあ、いい人生って何だろう?と思うと、その人が与えられた天命を生き抜くことだと思っているので。その天命というのは誰も知らなくて、もしかしたら100歳かもしれないし、1歳までだったかもしれない。だから、同情ではないですよね。別に」

――そうですね。この歌詞のなかでは。

「同情はしていない。願いはいろいろありますけどね。でも、もともと日本人っぽくないですか、その考えは。お天道様教というか、結局人間がすべてを支配できるものじゃないという大きな考え方というか。そこで自分に与えられた天命を一生懸命生きるということが、この災害だらけの、小さな島国に生まれた、生き抜くための大きな概念かもしれないと思うんですよね」

――こういう歌詞を瞬間的に書いたというのは、ほんと信じられないです。ものすごいレヴェルの集中力と瞬発力を感じます。

「しばらくは、こういうやり方で書いてもいいなと思ってますね。いま出てくるものを素直に歌うということを。それは別に、こっ恥ずかしい言葉でも、簡単な言葉でも、それでいいかなと思うので。結局、何にも難しい言葉は使ってないですからね。〈賽の河原〉の意味がわからないと、わからないところはあると思うんですけど、言葉はすごく簡単ですよ」

――そうですね。しかも日本語ですよね、今回は3曲とも。BRAHMANには珍しく。

「日本語でやろうぜ、と思ってたわけじゃなかったんですよ。日本語しか出てこなかったというか、日本語以外の選択肢を感じなかったというか。〈こういうメロディーなら英語のほうが合うかな〉とか、いつもは考えるんですけど、いま出てくるものに関しては、日本語にしか聴こえないんですね。英語の曲を否定してるわけじゃなくて、自分から出てくるものがそれだから」

 

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掲載: 2011年09月07日 18:01

インタヴュー・文/宮本英夫