インタビュー

INTERVIEW(2)――自分のなかから出てくるものと勝負したい

 

自分のなかから出てくるものと勝負したい

 

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――どんなことを話していたかは、タクティクスのホームページや信頼できるライヴ・レポートとかで皆さんに確かめてもらうことにして、ここでは触れませんが。そろそろシングルの話にいかせてください。本当にすごい曲ばかりで衝撃を受けたんですけど、1曲目“賽の河原”は、いつ頃作ったものですか。

「これは、曲は前からありました。震災前からありましたよ。詞を書いたのはレコーディングの時ですけどね」

――それは震災以降ですか。

「4月くらい。これ、ほとんど一発録りなんですよ。いっせーのせ、で録ってる。ほかの2曲は歌もいっしょに歌ってるんですけど、“賽の河原”は詞がなかったので、3人にオケを作ってもらって、それを聴きながらガーッと書いたんで。大筋は5分ぐらいで書いたんじゃないかな」

――5分!? 信じられないです。OAUの『夢の跡』の時に、〈最近は詞を書くたびにダメージが大きくて、ひとつ書くたびに寝込んでしまうくらい〉と言ってたTOSHI-LOWさんが。

「タイミングなんでしょうけどね。パッと感じるものに対してどういう言葉が出てくるか。細かく言えば重複する言葉もあるし、突っ込みどころは満載なんでしょうけど、自分のなかから出てくるものと勝負したいというか。これを1回家に持って帰って、出てきた言葉のソースを考えて、定義してもう1回出すとか、そういう細かいことじゃなくて。そこで感じるすべて、それだけでいいかなって。間違っていようが何だろうが」

――“賽の河原”という強烈なイメージは、その時いきなり浮かんだんですか。

「ずっとあったんでしょうね、たぶん。3月11日以降、ずっと頭のなかにあったと思う。これだけなんですよ、震災以降に書いた詞は。残りのふたつ(“最終章”“霹靂”)は、去年から(ライヴで)やってますから。でもあんまり、書いてることは変わってないという。震災前も震災後も」

――ああ。確かに、そうですね。

「“霹靂”なんて、絶対震災後に書いたと言われそうだけど、全然去年からやってましたよ。(歌詞を指差して)自分でもこのへんとか、当たりすぎて気持ち悪かったですけどね」

――〈水に浮かんだ笹の舟、波に溶けてく砂の城〉というところですね……。それは、ある種の予感みたいなものがあったんですか。

「人生をそういう感じで見る人って、いるんじゃないですか? そういうふうに捉えてる人は、僕だけじゃないというか、そっちが本当だと思っているので。子供の時に、未来が砂漠になって世界が終わっていくとか、そういうSFを観ても、全然別物として観てなかったですから。人類は未来永劫繁栄して、どんどん楽しくなっていくと思っている人のほうが不思議というか、俺は死なないぜと思ってる人のほうが不思議というか、どうやったらそんなことが言えるのかな?と。いいなあと思いますけどね。〈大丈夫だよ〉って言えるなんて」

――でも、あきらめとは違いますよね。TOSHI-LOWさんの書く言葉は。

「あきらめではないですよ。どっちが事実かと言えば、俺が言ってることが事実だと思うだけで。人は死ぬし、すべてのものはなくなっていくし、〈永遠になくならないものがあるんだぜ〉と歌ってる人が、不思議だなと思うだけで。〈永遠になくならない……と、思いたいものがあるんだぜ〉と歌うべきじゃないの?って。事実と真実がぐちゃぐちゃになってる。結果的に、人間として生きていくのであればそれが当然だという事実があって、そこを超えるものとして、それぞれがこっちから見た真実、あっちから見た真実を語っていくのはすごくいいと思うんですけど。みんな事実というものを捻じ曲げて歌っている気がすごくするというか。〈俺も君も死なないんだぜ〉みたいな言い方をしていく歌には、何の力も感じないから。嘘を振り撒いてどうするの?って。嘘だって、聴きたい時があるのはわかる。だったらもっとロマンティックにしてほしい。墓場に持って行けるぐらいの夢物語を書いてほしい。そんな安っちく、愛だ恋だ平和だと言わないでよって。そんなのすぐバレるよって」

 

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掲載: 2011年09月07日 18:01

インタヴュー・文/宮本英夫