INTERVIEW(2)――アクセルとブレーキを同時に踏むような感覚
アクセルとブレーキを同時に踏むような感覚
――そうだったのですね。私はファーストの頃からずっと聴かせていただいていますが、特にリリックなどは、常にその時々の時代背景にフィットしているというか、社会性のようなものとシンクロしている印象でしたので、そのあたりのテーマを毎回どう調整されているのかな?というのをお訊きしたかったんですよ。時代との交錯具合をどうテーマにされているのか、と。
高橋「それはね、とてもいい質問なんだけど、全部偶然なんですよ(笑)。結局、偶然というのは必然でね、必然になるには時間が必要なんだけど、後から〈これはこういうことだったんだね〉ってことに気付くわけ。しかも、(制作の)テンポが早くなればなるほど偶然が増えていく。やがてそれが必然に変わってしまうけど、その時はすごく新鮮なこととして感じられるわけでね」
――偶然とはいえ、ここまで再三時代とシンクロすると何らかの……。
高橋「そう、確かに何らかの働きはあるとは思う。やっぱり日常、日常を常に意識していると、自然とそうなっていくんじゃないかな」
鈴木「ただ、(3月の)震災の時はそれを過剰に意識しないようにしたよね」
高橋「うん、意識しないように意識したね。それよりも、好きなアートを観る、好きな音楽を聴くっていう生活。日常だよね。それが自然と時代と繋がるようなことになるんじゃないかな」
――そういう姿勢が、例えばファースト・アルバムの〈出口主義〉=Exitentialismというような言葉を生んだのかもしれないですね。あの言葉は80年代初頭のものなのに、期せずして今日の出口が見えないような閉塞した時代を示唆したものでした。
高橋「そうだよね。もちろんあんな言葉はないわけで、ピーター・バラカンが作った造語なんだけど、いまここにいることを考えるより、先に進むことを考えるって、すごく時代を捉えた言葉だったと思う」
鈴木「でも、先を考えてそういう主義を唱えたわけではなかったんだ」
――ええ、しかもお二人はどこかに諦念のようなものを常に抱えてらっしゃいますよね。先を進むことを考えても、いたずらにポジティヴ指向ではない。そういうお二人が〈出口主義〉というテーゼを唱える意味は小さくないと思います。
高橋「うん、ぼくらにはアクセルとブレーキを同時に踏むような感覚がある。それは確かに僕らの共通点としてあって、自分の作ったもの、実存に自然とある程度は沿ってしまうってこともあるんだよね」
鈴木「でも、僕らはそういうこともあまり普段は考えない。もっと偶然でいいと思っているから、だからテーマとかを最初に考えないんだ。あとからラッキーにも浮かび上がる。こうやってしゃべっててもね。それが出口主義さ」