INTERVIEW(2)――ある種のリアリズム
ある種のリアリズム
――結成10年というのはあっという間でしたか?
「〈10年〉ってすごく長くて果てしない感じがしてましたし、はるばる来たな~という感じもありますけど、いざ経ってみると意外に早かったって感じですね。でも、その間に自分で思い描いた音を作品にしていくことができるようになったのは大きいです。時間的にもスピーディーになりましたし、やりたいことに迷わず踏み出せるようになったという意味もあるんですけど、ただ作業をするということではなく、自分の後ろにあるものを表現できるようになったということは大きいと思いますね」
――後ろにあるもの、というのはバックボーンということ? それとも、現在の自分が置かれている社会背景という意味?
「どちらもですね。普段、自分が置かれている状況を理解するにはどうすればいいんだろう?ってことを考えるなかで、音楽ともうまく付き合えるようになったという感じだと思います。肉眼では見えない絆とかを、30代の、このトシになると考えるんですよね。で、そういう思いを音楽を通じて深く表現できるようになっている感じです。今回のアルバムにもそういう側面が強く出てると思いますね」
――よりパーソナルな目線が落とし込まれているということでもある?
「パーソナル……と言うと?」
――例えば“リレー”という曲には〈吉祥寺〉とか〈武蔵野〉って単語が出てきますよね?
「あー、なるほど。でもそれは身近な場所を示す単語ではありますけど、もっと大きな流れを捉えているんです。同じ曲のなかに〈アフリカの谷から武蔵野の駅まで、吉祥寺の駅からお隣の銀河へ〉とあるように、最終的に宇宙へと続くイメージなので、決してパーソナルで身近な目線で……というわけではないんですよね。〈吉祥寺〉は単なる経由地であって。聴く人によってどこでもいいと思うんです」
――なるほど。でも、〈吉祥寺〉という言葉を入れることによって、一歩間違えば曖昧な自然主義指向のようなタッチになるところがリアルになるとは思うんですよ。で、そういうリリックが今作ではすごく力を持っているなと感じるんです。デビュー当時よりも遥かに言葉に対する意識の高さが感じられるんですよね。
「それはその通りですね。僕は割とスピリチュアルで胡散臭いものが大嫌いなんで(笑)、そっちには転ばないとは思いますよ。例えば、マリリン・モンローも屁をこくわけです(笑)。で、僕は〈マリリン・モンローも屁をこく人間だ〉として描きたいタイプだってことなんです。それはある種のリアリズムですね。それはやっぱり3月に震災があって、それまでどんだけ綺麗ごとだけで進んできたんだっていうか、そういう表面的なことが露わになりましたよね。いままでは、漂白されたものを有り難がってきたというかね。でも、まあ、これは去年出したソロ(『たまもの from ぬばたま』)にもそういうところが出ていたし、もっと言えば、前の『オリハルコン日和』(2009年)あたりからもそういうリアリズムにこだわる傾向にはあったと思うんです。それに段々と気付いてきたって感じですね。で、震災と原発事故によってそれがより自覚的になってきた感じはします」
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