INTERVIEW(4)——聴き手の生活に土足で踏み込んでいく音楽
聴き手の生活に土足で踏み込んでいく音楽
――道しるべがあったっていうことかもしれないですね。アタマ2曲は勢いのあるロック・ナンバーではあるものの、今回のEPの割合的にはメロディアスなナンバーが多いっていうのも、自然にそうなったっていう感じ?
「そうですね。作ってるときはただ交通整理のおっちゃんに回る感じで、左から右へ〈どうぞー〉っていう感じなんで(笑)。ただ、通り過ぎるスピードが速いから、全体像は見えてなくて、出来上がる間近になって、〈バラード多いね〉って初めて気付くっていう」
――結果的にそうなったことをどう分析しますか?
「一言では形容し難い、その人でしかないところをめざすだけで、自分の持ってるものをわかりやすく表現したいっていう意味ではポップなのかもしれないし、固執してやり切るっていう意味ではロックと言えるのかもしれないですけど、ジャンルの意味でのロックとかポップっていうのは何も考えなかったですね。俺のなかでこれまで考えてきたロックとかポップっていうのは、死に絶えた気がします。これからやるのはそのどっちでもない、ただもらったものを返す作業なので」
――これもただ自然に作った結果なのかもしれないけど、小林くんの曲ってわりと1曲が長いよね。
「それはホントに申し訳ないです(笑)。音楽として伝えたいものが多いのかもしれないですね。2~3分では収まりきらない情報量を伝えたいのかなって、客観的に見て思ったりはします」
――いわゆる3分間のポップソングみたいのにはあんまり惹かれない?
「いや、もともと3分の曲も俺のなかにあると思うんですけど、ただ、いまはそれがストレートに出てないっていうことだと思います。俺がもっと器に徹すれば、それが出てくるのかもしれない。俺のなかの才能は幅広い気がしていて、何でもできる気がするんです。音楽で空も飛べる気がする(笑)」
――(笑)聴き手に対する意識っていう点ではどうですか? 『DANCING SHIVA』のときは〈一方通行でもいいから、メッセージを発してみる〉っていうテーマがあったかと思うんですけど、どういう変化がありますか?
「今回は作ってるときに何も考えてなかったんで、そのときの状況がそのまま歌詞に出てると思います。歯車がかみ合って、前に進むしかないっていうメッセージにはなってるのかなって」
――“泳遠”はまさにそういうテーマですよね。
「でも、一方的に音楽をやっていくっていうのは同じだと思いますね。相手の生活に土足で踏み込んでいく音楽というか(笑)、全然違うことを考えてても、その考えをかき乱して、その曲のことしか考えられなくなるような、そういう強い音楽じゃないといけない気がしてて。できるだけ圧倒的になれればと思います」
――そこで何を与えるかっていうのは、器の中身の問題っていうことですかね。
「自分が借りたものを、誰かに又貸しする感じ(笑)。〈この本どうだった?〉っていう。自分のものじゃなくて、誰かが読みたいと思うなら、読ませなきゃいけない気がするんで」
――でも、アンビバレンツではあるよね。自分の才能に対する信頼はあるけど、表現の主体はある意味自分ではないっていう。
「信頼しないと、他は何もないですからね(笑)。でも、自分の才能を返していかないともったいないって思ってるってことは、心底信頼してることの証拠だと思うんですよ。〈こんなにいいのに〉って思えてることの裏返しだと思うんで、それをそのまま出していければいいなって」
――そうやっていかに自分が思い込めるかっていうのが大事だったりするからね。
「そうですよね。今回で自分と自分の持ってるものを切り離して考えられるようになったんで、どんどん考え方がシンプルになって、これからいろんなことがしやすくなるとは思うんです。あとはみんなに自分のものをもらってもらうタイミングだけ逃さなければ、安心して音楽ができるかなって思ってますね」