LIVE REPORT――cali≠gari @ 初台The DOORS(5回目)
桜井青によるマッドな原曲/過激なリアレンジが揃ったセルフ・カヴァー集『1』の5曲がライヴで初披露されたのは6月の日比谷野外大音楽堂公演だったが、その第2弾となる『2』の再現ライヴの舞台となったのは初台・The DOORS。だが、『2』+1曲から成る計6曲のセットリストを1日に5ステージという、やはり一筋縄ではいかない趣向だ。筆者が観たのはその最終回。同じメニューに飽きたため(?)、3回目にはすでに『2』の収録曲はほとんど演っていない模様、という途中経過を耳にして焦りながら現場に向かったのだが、さて……。
衣装も毎回変えていたようだが、ラストのステージに登場した4人はアーティスト写真とほぼ同じ出で立ち。もともとは山口小夜子がキーヴィジュアルを務めていた頃の資生堂のCMがイメージだったらしいが、その見た目にも似合う“暗中浪漫”――リリース当初は銀座・ジュエリーマキのCMソングに起用されていた――でライヴはスタートした。やはりもはや『2』の再現ライヴではないのか……?という筆者の動揺をよそに、石井曲の特長でもある低体温のポップネスで会場を一気に沸騰させると、冷やかなシンセの響きが……“その行方 徒に想う…”のオープニングだ。淡々と『8』の幕を開けた原曲に対し、疾走感を増したバンド・サウンドと随所で並走するシンセ、掛け合いを多用したコーラスワークによって、〈生涯アウトロー 不安定〉で始まる皮肉な詞世界ながら、なぜか切なさが募る。そんな同曲に続くのは、冒頭からラストまでシンプルな構成を保つ“ギャラクシー”。桜井と村井が立ち位置を変えて観客を挑発するものの、クールな風情は崩れないままだ。
そうしたテンションからふたたびギアチェンジを図ったのは“かじか”。殺伐としたバンド・アンサンブルの狭間でメランコリックな煌めきを放つギターのアルペジオ、ラストで聴かせる哀愁のベースラインがやるせない胸のざわめきを引き寄せると、そのまま“ダ・ダン・ディ・ダン・ダン”へスライドする。石井と桜井による掛け合いをはじめ、全編に細かくコーラスワークが仕込まれた同曲では、パートごとに楽器隊の3人が組み合わせを変えながら美麗なハーモニーを乗せていく。間奏のギター・ソロの背後で滑らかに高音へと流れゆくベースなど、耳で捉えていたメンバー個々の個性を改めて目で確認できるのも楽しい。
そして、ストリングス風のシンセ、クラップや声ネタを交えて華やかさを得た“虜ローラー”では、桜井が踊り出すそばで、石井が観客に向かって手振りを要求。アッパーに跳ねる4つ打ちに身を任せながら観客が応えると、会場は大団円ムードに包まれる。後半では石井がフロアに降り立って観客とコール&レスポンスを図るなど、このバンドとしては珍しく、陽性の一体感をもってこの日のステージが終了……するのかと思いきや。
「ラストですよ! 5回目ですよ! いけますか!? いけますか!? いけますか――!? ……お疲れさまでした。クソバカゴミゲロ!」という桜井の絶叫からアンコールの“クソバカゴミゲロ”へ。桜井と村井はステージのギリギリまで出て観客を扇動し、石井は〈クソバカ!〉をひたすら咆哮。そして、この場にいる数百人が一斉に〈クソバカゴミゲロ!〉と叫び倒す異様な光景から、間髪入れずに凶悪なファストコア“ギロチン”に雪崩れ込む。明滅するストロボライトと相まって、場内はcali≠gariのポップ・サイドを畳み掛けていた本編と打って変わってのカオス状態。そして、4人はほとんどやり逃げのような体でステージを去っていった。
桜井の楽曲で構成された『1』と、石井の楽曲で占められた『2』。ハード/ポップに振れたこの2作品の落差は非常に激しいが、とはいえ、違和感なく並べることのできる〈cali≠gariらしさ〉を纏ったもの。幅広い……というかむしろ混沌とししていると言いたいルーツを自身の音楽に取り込むセンスもさることながら、〈あえて整えない〉という絶妙なバランス感覚は彼らの記名性/ポップネスをさらに広げていきそうだな、と。そういう意味でもこのセルフ・カヴァー・シリーズがコンプリートされるのはずいぶん先のことになるのではないか?と、終演後のステージを見つめながら思った筆者だった。
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