NEWS & COLUMN ニュース/記事

SCOOBIE DO

連載
360°
公開
2010/07/20   16:00
更新
2010/07/20   16:01
ソース
bounce 322号 (2010年6月25日発行)
テキスト
文/フミヤマウチ

 

己のソウルを磨き続ける旅……SCOOBIE DOの物語は続く

 

ScoobieDo_A4

 

通称スクービー、はたまたファンキー4の歴史は〈皮ムケ〉の連続だ。壁にぶつかり一皮ムケ、ハードル越えれば一皮ムケ、新たな出会いで一皮ムケ、夕陽をバックに一皮ムケ──。ピンチをチャンスに、出会いを成長に変えることで、彼らは実にユニークな現在の姿を手に入れたのだ。

ScoobieDo -A1

スタート時の彼らは、新宿JAM界隈に数多くいたリズム&ブルースを若者らしく演奏するバンドのひとつであった。ただ他と違っていたのは、優秀なソングライターであるマツキタイジロウと、嵐の二宮和也をワイルドにした風貌のヴォーカリスト(いや筆者の主観ですから)=コヤマシュウがいたことだ。そのうちマツキはオリジナルな日本語リズム&ブルースを書きはじめ、それは偉大なブルース・ナンバーの数々に引けを取らないレパートリーとなり、特に〈海〉〈夏〉〈夕陽〉を描くことに抜群の才能を発揮していた。当初ステージのイニシアティヴを握っていたのは、そのマツキである。黎明期のスクービーはギタリストのバンドだったのだ。コヤマは言わば、ヤードバーズにおけるキース・レルフであった。それが一変したのは、ある日煮え切らない観客を前にコヤマが突然堰を切ったように強烈なアジテーションを始めた瞬間だった。その時の様子を、ある者は〈突然シュウくんにアントニオ猪木が乗り移ったんだよ!〉と語り、またある者は〈「ブルース・ブラザーズ」の教会のシーンあるじゃん? まさにあのJBだったよ〉と語り、またまたある者は〈ドズルが死ぬ時うしろに出るアレ、コヤマの背後にも見えた〉と語る。以後、コヤマのベシャリは会場全体をさらにヒートアップさせる魔法となったのだ。

もちろんその他にも大小さまざまな〈皮ムケ〉はあった。髪型を変えただけか人そのものが違うのか? ドラマーがある日突然アフロになっていたり、全員で意気揚々とオーダーメイドのスーツを作りに出かけたその日にベーシストに脱退されたり——〈並木事件〉(スーツ屋の名に由来)としていまなお語り継がれるこの出来事も、結果、いまや(平均年齢を下げる役割としての)エースであるナガイケジョーを迎え入れる契機になったり。

また、メジャー・レーベルと契約しても彼らのスタンスは変わらなかった。当時、元サニーデイ・サービスの田中貴をマネージャーに迎えた彼らは47都道府県をすべて回る過酷なツアーに出かける。メジャーでやるにあたってメンバーとスタッフはライヴ・バンドとしての地力を強化すること、ついでにご当地ラーメンに精通することを選択したのだ。そのうち彼らの周りにはソウルメイト──RHYMESTER、ZAZEN BOYS、SOIL&“PIMP”SESSIONS、その他たくさん!──も増えていく。またみずからもファンも奮い立たせる名言──〈Funk-a-lismo〉〈PLUS ONE MORE〉、その他たくさん!──を作品に名付けていく。そうして彼らは作品ごとに、ライヴごとに成長を刻み付けていったのだった。

 

ScoobieDo -A2

 

このような数々の〈皮ムケ〉を経て、現在の彼らは〈CHAMP RECORDS〉の名のもとにすべて自分たちの責任で活動を行っている。オカモト“MOBY”タクヤ(ドラムス)が酒場外交などを駆使しつつマネージメントに才能を発揮しているのも大きいだろう。これだけムケていれば立派に黒光りしていても良さそうなものだが、彼らはいまなお瑞々しく、ヒリヒリとした立ち姿のままだ。夏が来るたび、何度も恋をしようか。でもまたムケちゃうね。

 

▼SCOOBIE DOの作品を紹介。

左から、2002年のミニ・アルバム『GET UP』、2005年作『PLUS ONE MORE』、2006年作『SCOOBIE DO』(すべてスピードスター)、2006年のライヴ盤『LIVE CHAMP 〜A Best of SCOOBIE DO~』(CHAMP)、ベスト盤『Road to Funk-a-lismo! -BEST OF SPEEDSTAR YEARS-』(スピードスター)