INTERVIEW(4)――歌詞はあくまで音であってほしい
歌詞はあくまで音であってほしい
――ところで、Turntable Filmsの歌詞は英語ですけど、ここは譲れないポイントなのですか?
「やっぱりそこですかね。う~ん……実は、前にいっしょにイヴェントをやった、くるりの岸田さんにも言われたんですよ。〈日本語で歌詞書かんとアカンで〉って(笑)」
――アカンとは言わないけど、井上くんのリリックってストーリーテリング的な側面が強いから、日本語にするとより立体的なおもしろさが出ると思うし、曲そのものの良さももっとダイレクトに伝わるような気がしますよ。
「そうなんですよねえ。ただ、実は僕、本当に洋楽ばかりというか、邦楽……日本の音楽ってほとんど聴いてこなかったんですよ。はっぴいえんども実はあまり聴いてなくて。周囲のおっちゃんとか友達とかが騒いでるから聴いてみて“あ、こんな感じか、いいなあ”って感じでした。お手本になりそうなのをあまり知らないんです。いま、まさにいろんな日本の音楽を聴いて勉強してるって感じで」
――そういうなかで、とりわけリリックの点でシンパシーを感じる日本人アーティストはいます?
「もちろん、くるりの岸田さんもそうですけど、個人的にいいなあって思うのは王舟のやり方なんですね。英語でも日本語でも歌うし、どっちにもそんなに差がない、みたいな。あと、ceroもそうですけど彼らってすごく自由に歌詞もメロディーも作ってる感じがするんですよ」
――東京周辺の連中の言葉の感覚に共感できるというのはおもしろいですね。
「なんか、単純に聴いていておもしろいなって思えるんですよ。こんなふうに言葉を音に乗せられるんだって気付かされるんです。例えば、ジュリー・ドワロンみたいなアーティストの作品を聴いているのとそんなに変わらない感覚があるんですよね。そういう意味でも僕らってやっぱり京都レペゼンっていうとは違いますよね(笑)」
――洋楽/邦楽関係なく新しい感覚で日本語の歌を作っている連中に惹かれるということ?
「そうですそうです。っていうのも、僕の歌詞は、まさに物語を読むようなところがあるから、それを日本語にすることの難しさっていうのをずっと感じてしまっていたんです。でも英語って〈○○が言った〉みたいな感じで、第三者の目線で語るとすごくスムーズだからしっくりくるんですよね」
――〈○○が言った〉……ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リード的な手法ね。あれを日本語で、しかも古臭くなく現代的に聴かせる歌詞が出来たらすごく画期的だと思いますよ。
「そうなんですよねえ。僕は映画を観ていてセリフとかからイメージを膨らませて、新たに自分のなかでストーリーを作って歌詞を書いたりすることが多いんですけど、それをそのまま日本語に置き換えるとアクが強くなりすぎるんですよね。歌詞はあくまで音であってほしいというのも僕としてはあって。いまはそこからどう日本語にしていくかなあっていうところを模索しているところなんです。で、どうせやるなら中途半端に日本語と英語が半々とかじゃなく、いっそ全曲日本語でやるくらいのことをやらんとなあって。というわけで、いま、ちょうどチャレンジしはじめたところなんで、次の作品を期待していてください(笑)」