LONG REVIEW――Turntable Films 『Yellow Yesterday』
生活に密着したグッド・ミュージック
肩肘張らない、力の抜けた心地良さを持つメロディー。角が削られた柔らかな音色と、艶のある歌声。石に喩えるなら、川の上流にあるゴツゴツした硬い岩ではなくて、下流のほうの、つるんとした丸い石。そういう音が詰まっているのが、Turntable Filmsのファースト・アルバム『Yellow Yesterday』だ。アコースティックなバンド・サウンドを丁寧に濾過して、耳に突き刺さるアタック感を取り除いて、じんわり染みてくるような部分だけを残したような音楽。
アイドル・ポップもロック・バンドも含めて、いまチャートを賑わせているJ-Popの多くの楽曲は(レディ・ガガとかリアーナとかニッキー・ミナージュみたいなUSのメインストリーム・ポップも)、基本的に〈耳に突き刺さるアタック感〉を増幅するようなアレンジとミックスで制作されているように思う。そのほうが商業的なニーズにマッチするからだろうし、テンションの高い曲のほうがライヴ映えするし、盛り上がるから、そういう熱量を持った曲の需要があることもわかる。ただ、そう考えると、Turntable Filmsのやってる音楽は本来の意味での〈オルタナティヴ〉だと言えるのではないか。
もちろん彼らのルーツに〈オルタナ・カントリー〉と呼ばれるUSの音楽シーンがあることは知ってるけれど、海外の音楽シーンと絡めて彼らの音楽を語ることに僕はあまりおもしろみは感じない。ガース・ブルックスとかディキシー・チックスみたいな数千万枚レヴェルのモンスターなセールスを誇る〈オルタナじゃないカントリー〉の存在感が本国に比べてゼロに近い日本でそんなことを言い立てても、あんまりリアルじゃない気がする。それよりも、細野晴臣さんとか、キリンジとか、Curly Giraffeとか、〈耳に突き刺さるアタック感〉を丁寧に取り除いて、〈染みてくるポップネス〉を追求してきた日本人たちの系譜に連なるバンド、という印象がある。
そして、彼らの音楽には、京都独特の土地柄や空気感のようなものも、もちろん反映されている。基本的にはユルいんだけど人を食ったようなところもある感じというか。ちょっとひねくれた感じというか。たとえば彼らと対バンもしている東京出身のOLDE WORLDEと聴き比べてみると、それが〈コク〉のような味わいとして音楽に溶け込んでいるのがわかる。そういうところも含めて、とても生活に密着したグッド・ミュージックだ。