INTERVIEW(2)——自身のクリエイティヴィティーと向き合って
自身のクリエイティヴィティーと向き合って
今井寿
――その四半世紀を超えるキャリアのなかで、BUCK-TICKにとって大きかったと思うものを挙げるとしたら?
今井「音楽的なことでいったら、『狂った太陽』(91年)ですね。それまではわりと躊躇してたところがあったんですね。自分の趣味みたいなものをあまりガツガツ出さずに、いわゆるBUCK-TICKのイメージはこんな感じなのかなみたいなところを、変に意識してたなって。でも、あのアルバムから、創作/レコーディングという面において結構、意識が変わって。実際に『狂った太陽』から、アレンジというものを作曲者がほぼ固める方向になってきたんですよ」
――『狂った太陽』があったからこそ、これだけの幅広い音楽的要素を持つバンドにもなり得たと。
今井「だと思うんですよね。それまでは、もちろん自分でもオーダーすることもあるけど、わりと何も言わなくてもやってくれるだろうみたいな、自然に出来ちゃうんじゃないのかなみたいな気持ちも結構あったんですよ。でも、そのときのエンジニアが〈この曲のここはどうしたいの?〉みたいなことを、結構、突いてくる人だったんですね。それまではそういう対話みたいなものもほとんどなかったというか。最終的に〈どう?〉みたいなことを訊かれても、自分も〈いいと思います〉みたいな(笑)。ヴィジョンがぼんやりとしすぎてたなぁと。そこですごく影響を受けたんですね。自分のクリエイティヴな部分をもっと出さないとなぁと。ホント、気付いたのが遅いと思うんですけど、レコーディングの楽しさというのをそこで初めて覚えた感じですね」
櫻井「ホントに僕もオーバーに言うと、『狂った太陽』で自分のなかの何もかもが変わったというか。それまで、たとえば『TABOO』(89年)だったり、『悪の華』(90年)だったりでも、一つまとまってはいたんですけども、自分のものになりきってなかったというのがあって……。何か犠牲にしないと、自分のものにはならないんじゃないのかなと思ってはいたんですけど、いま思うと……私的なことなんですけど、身内を亡くして、何もかもが変わってしまった。そういうところにいたのが『狂った太陽』という感じで、そこからいろんなことが起こってきたという。ちょっと上手く言えないんですけど、それまではモヤっとしていたものが、だんだん自分のなかではっきりしていったという感じです」
――それは具体的に何がはっきりしたんですか?
櫻井「自分が好きなものだったり、自分が何を歌いたいのかを、自問自答することが増えていった。まぁ、まったく何もはっきりしてはいないんですけど、はっきりしていかなきゃなって、そういう考えになっていったんだと思うんです。何か口先だけじゃこの先はダメだな、何か削っていかないと説得力がないなみたいな」
――自分の身を削るといった意味合いですか?
櫻井「ということに近いですね。それがいいかどうかはまた別なんですけど、そういうふうに持っていったということですね。一つ突き進まないと、何か動けないなって。覚悟を決めたつもりではいたんですけど、それまでは小手先だけで終わってたんだなと自覚したというか」