LONG REVIEW——cali≠gari 『11』
破綻がもたらすポップネス
フル・アルバムとしては2年5か月ぶりとなるcali≠gariの新作『11』。初めて聴いたときからずっと頭をかすめていたことがあったのだけど、いまこうしてレヴューを書こうとして思い出した。2009年作『10』の発展版として制作された2010年のミニ・アルバム『≠』のリリース時に記したレヴューの一節だ。
乱暴な物言いであることは重々承知の上でこのバンドのメイン・ソングライターを二元化するならば、理論の人と感覚の人、ということになるのだろう。前者が石井秀仁で、後者が桜井青。理論に沿った響きにどの程度の破綻を加えるか、あるいは奔放な感性にどの程度のガイドを与えるか、その配分によって彼ら独自のポップネスが生まれているが、その関係性が徐々に変化しているような気がしたのは、直近のシングル〈#_2〉の取材のとき。それまで自作の曲以外に関しては口数の少なかった二人が、お互いの楽曲についても(限度はあるにせよ)語りはじめたことに驚いた結果、今回の3本立てインタヴューへと繋がっている。
妖しげなムードの重厚なイントロから次第に加速していく“吐イテ棄テロ”、ファスト~デス・コアにポジティヴ・パンクを注入したような“JAP ザ リパー”で暴力的に幕を開け、アーリー90sの空気感を漂わせたエレポップ“最後の宿題”、AOR歌謡“東京、40時29分59秒”でセンティメンタルな余韻を残す本作。
その合間に先行シングルとなった美麗な電子ポップス“娑婆乱打”“暗中浪漫”や、子供の無邪気なコーラスと共にMCハマー“U Can't Touch This”風のベースラインが躍る“すべてが狂ってる ~私は子供が嫌いです 編~”、石井が平熱で歌い上げる“初恋中毒”などの既出曲の別ヴァージョンが挿入され、さらにはメロディーのロマンティックぶりが止まらない“コック ア ドゥードゥル”、淫靡極まりない“その斜陽、あるいはエロチカ”といったテクノ歌謡の2連打、シャッフル・ビートとビッグバンド風のフックでド派手に打ち上げる“アイアイ”と続く。単体では方向性の異なる楽曲群が美しい1本の流れを作り、全11曲を一息で聴かせる。
「辻褄を完璧に合わせることと、完璧に合わせないことは同等に難しいと思うが、それを同時にやってのけている人たちではないか」。
これは冒頭で述べたレヴューのなかでcali≠gariというバンドを形容した言葉だが、その考えはいまも変わっていない。むしろ、そんな彼らの特性をより洗練させた作品が、今回の『11』なのではないかと思う。
加えて、その〈洗練〉の一端を担っているのが、岡村靖幸などを手掛ける白石元久によるミックスだろう。薄く挿し込んである音、前後左右に散らしてある音、大きく旋回している音――あらゆる音の配置が、楽曲が持つ際どいバランス感覚をよりくっきりと浮き彫りにしている。
ぜひ一度、この『11』をヘッドフォンで聴いてみてほしい。その密閉された音世界に耳を傾ければ、オリジナル・ニューウェイヴが纏っていた退廃的なムードとエキセントリックな熱量、そして、華やいでいるようでいてどこか空虚な、二度と戻ることのない昭和の幻影が立ち上ってくることだろう。