インタビュー

INTERVIEW with 1031(4)――ブルーであることを引き受けている

 

ブルーであることを引き受けている

 

――ただ、マインドはオープンですけど、歌われていることはブルースですよね。私、どんな作品でも最初は歌詞を読まずに聴くんですけど、その段階で〈この人は根っこがブルースの人だなあ〉って思うほどの匂いがあって。〈ブルースをポップに歌う人だな〉って思いました。

「バンドを結成した時から、弱い立場のほうを見てることは確かですね。それは自分がそうだからで、自分を助けてくれた音楽がそういうものだったっていうのもあります。持たざるものっていうか……僕、ホントに結構ブルーなんですよ(笑)」

――あの、わかってます(笑)。

「そうなんですよね。すごい…………変な枠に入っちゃうような誤解をされたくないんですけど、すごくブルーなんですよ。辛いですね、生きていくのが苦しいみたいな、なんか、十中八九は嫌なことばっか起こるみたいな。自然にそういうふうに思ってるんですね。生きていく限り失い続けるみたいな、みんな去っていくみたいなふうに見えるんですよ、世界が。………………かといって、絶望的じゃないんですよね……救いがないような、そういうのじゃないんですけど。結局、人っていうのは根源的にすごく孤独で……それに蓋をするか、孤独であることを見るかって時に、僕は凝視しちゃうんですね。自然にそういうものを描写してしまうし……そういうものとどう折り合いを付けていくかっていうのが、生きていくってことなんじゃないかって思ったり。例えば音楽に没頭すれば、そういう考えが一瞬どっかにいっちゃたりとか、で、そういうところにちょっとだけ良いことが落ちてたりとか……その良いことを見つけることができるのも、基本的にひとりぼっちだからであって。〈なんでなんだろう?〉っていう問いみたいな……得体の知れないおっきいものと向き合っているなかで、素敵な音楽に助けられたりするような感覚なんですね。あらゆる素敵なことは、そういう孤独感とか喪失感ありきで輝きを放つっていうか。そういうものがあるから発見できるんじゃないかっていうふうに思ってますね。だから音楽ってすごく素敵だなって思うんですね……音楽だけじゃなくて、他にもいろいろありますけど……そういうふうに、僕みたいに見えてる人っていると思うんですけど……クラスに1人だか2人だか、そういう人を募集してる感じですね」

――じゃあ、私はその募集に足を止めてしまったのかもしれない(笑)。

「ようこそ(笑)。いや、〈ようこそ〉っていうよりは〈ありがとうございます〉みたいな。普通のことと思ってるんで。変わった人と思われるのが嫌だったりするので。ただ、目をそむけてるだけなんじゃないのかって思いますね。だから、こういう歌詞で明るい曲調っていうのは自然なことだし、それっていうのはブルースですよね。ブルースって、基本的に駄目な感じなんだと思うんです。〈おいらはホントに駄目〉みたいな、〈酒と女と〉みたいな。そっからもう、〈明日から君のために生まれ変わろう〉みたいのすらないような。それを引き受けちゃってる感じがするんですよ。ただ描写してるっていうか……で、歌を歌って楽になるみたいな……淡々とニュートラルであるみたいな気がしてて。例えばサッチモ(ルイ・アームストロング)とか、もう差別とか抑圧とかそういうところと近い人が〈空は青い〉とか歌ってると、その一節だけで泣いちゃったりするようなことってあると思うんですよね。それが場合によっては陳腐っていうか、手垢が付いたようなことになり得るものでも。それは説得力っていうか…………あの人って、特に前向きっていうわけでもなく、すごいニュートラルな感じなんじゃないかなって思うんですね。“Wonderful World”って場合によってはすごくサムいですけど、引き受けてる感じっていうか。ブルーであることを引き受けているような感じ、そういう姿勢ですかね。それが生きるってことかもしれないって思うんですけど」

――そう思いますよ。ブルースは生活そのものというか、いかに〈生きる〉ということに密着できるかなんだと思うし。

「本当は僕、究極の音楽はインストだと思ってるんですよ。言葉を使うってのは禁じ手っていうか…………例えばジャズとかブルースとかでも、ギターがむせび泣いていたりとか、トランペットが吼えていたり、っていうのが究極だと思ってるんですね。しかもクラシックというか、オーケストラだったら組織のなかの歯車っていうか、律してるなかで初めて表現が生まれる。極論中の極論だと思うんですけど、言葉を使うことはある意味、(表現の幅を)ちょっと狭めてるんじゃないかって思うんですね。ギターとかで感情出してる人のほうが、究極的には格好良いと思ってますね。だから〈言葉を使わせてもらってる〉っていう、〈禁じ手を許されている〉っていう……ラッキーっていうか、シード権みたいな、ボーナスみたいなものを……無自覚で振り回したくないんですね。だから、〈ホントありがたいことです〉って、拝みながら書いてるような感じなんです。自分はズルイなあって。〈マイルス(・ディヴィス)とか聴いてみろよ〉って、結構本気で思ってるんですよ」

――その、ギターがむせび泣くっていうのは、イコール、エモーションっていうことですよね。

「うん、ほとんどの場合はエモーションだと思うんですけど。例えばマイルスとか、(エリック・)クラプトンとかは、エモーションだと思うんですけど。でもオーケストラを見てると、そこはツッコミたくなっちゃうんですよ。ソリストがいない場合は、譜面が絶対的にあって。指揮者のエモーションはあると思いますけど……第2ヴァイオリンの人がすごいブルーな表現をしたいって思っても、抑えるしかないっていうか……その不自由さに感動しちゃうんですよね。律してる感じに」

――そもそもクラシックは楽曲自体に作曲者のエモーションが込められてますしね。

「例えばモーツァルトとかベートーベンっていうのは、エモーションを日記に書くとかじゃなくて音符に込めてるってところが、すっごいロマンティックだと思うんですよ。それが世界とか歴史を超える結果を生んでますし。それに対して、僕はズルイって気持ちがありますね。ロックもそう。言葉を使うことに無自覚であることは格好悪いって思ってますね」

 

カテゴリ : ニューフェイズ

掲載: 2010年04月19日 20:30

更新: 2010年04月19日 21:36

インタヴュー・文/土田真弓